リスクのない的外れな生き方を捨てる

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今日は ものすごく疲れる夢を見ました

過去にずっと一緒にいた人が
どうしても自己実現のために
あれをしたいこれをしたいと言い

何の益にもならない無駄な遠回りをすることになり
その道中では様々な人の邪魔をすることになり
(当たり前ですよね 無駄行動をする私たちは
本来そこにいる必要のない人間ですから)

乗るはずだった飛行機に間に合わず
何万円もする飛行機のチケットを無駄にして
帰れなくなるかもしれない…という状況で目が覚めました

無駄にする「かもしれない」
というのがポイントかもしれないですね

まだ希望がある状態だったわけですが

目覚めた時は とにかく腰が痛かった

腰については 以前 逆に
起きた時に腰が軽くなっていた夢があります

他人が私の(肉の)父を悪く言って
この人は天国に行けないと異口同音に言っている中で
そんなことはない 父はこういう良いことをしたから
天国に行けると思う と弁明する夢を見たときです

しかしこれには理由があります
他の人が言うような「父の悪いところ」を
私は見る機会がなかったのです

どういうことかと言うと

自分の中に 父の悪い部分と引き合う要素が
全くなかったということだと思っています

引き合う要素がない場合
相手の悪いところは(本当に)見えないのです

更に言うと 目が覚めた時に気がついたのは
神様から「離れなさい」と言われた人が全員
同じタイプの問題を持つ人だったということです

父の件を逆説的に言うなら
私がその「被害」に遭うのだとしたら
私にも同様の要素があるということになります

それが起きることはある程度仕方がないと
妥協をしているからそのことが起きるのです

こういう人をどう愛すればいいのですか?と
ずっとずっと神様に祈ってきましたが
神様からは 離れなさいと言われました

示された聖句はこれです

詩編45篇10-11節
娘よ。聞け。心して、耳を傾けよ。
あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ。
そうすれば王は、あなたの美を慕おう。
彼はあなたの夫であるから、彼の前にひれ伏せ。

この件については最近
先輩クリスチャンから教えられたのですが

悪いものを無力化する一番良い方法というのは
孤立させることなのだそうです

確かに考えてみれば
神様と共に歩むものは 人と神様がいれば
何かを生み出すことが出来ますが

悪いものは 人から奪うことでしか力を得られないので
孤立したら力を失っていきます

孤立しても強くあるものこそが
本物の神と共にある証拠かもしれません

ちなみにですが

聖書にある「罪」の原語には
的外れという意味があるそうで

私はどうしても的外れなことを
やりたいんだ!と頑固な人というのは
聖書的には「罪人」ってことになるんだなぁと
今日の夢でやっと腑に落ちました

とは言え 私はこの事で
他人を批判したり裁いたりするつもりはありません

ですが 今日見た夢により 自分の中に
悪い種があることには気が付いたのです

確かに ある面において過去の私は
遠回りと それによる経験に頼るところがありました
それは主に 仕事においてです

パウロが 自分が学んだことが
損であると言ったように
私も このことは損であったと
思っていることがたくさんあります

ですが神様は そのことも用いられる方です

今回のカンファレンスで話があったように
悪魔というのは時に 道を開く働きをすることがあります

イエスさまは殺されました
しかし悪魔はイエスさまが復活して
全ての信じる人が聖霊に満たされ
イエスさまに似た者が地に
溢れることは知りませんでした

ヨブは苦しめられました
ですが悪魔は ヨブがとりなしの祈りをしたとき
以前の倍の恵みを受け取ることは知りませんでした

神様は 悪魔がしたことを祝福に変える力をお持ちです
悪いことのように見えることを用いて
大いなる祝福の扉を開けることをなさるのです

それを見て悪魔はいつも歯軋りをしています

トッド・ホワイト師は言いました
悪魔が来ても良いじゃないか
御国の一番低いものよりも
彼らの一番高いものはもっと低い

少しでも彼らに意識を払う価値はない
いつでも悪魔に歯軋りをさせておこう

誘惑に負けなければ
悪魔はより多くの祝福を受けるための
扉を開くものとなり得ます

ですが もし自分の中に罪があるのであれば
悪魔が来たら誘惑されます

悪魔を怖がるものは
罪の根を抱えている証拠なのです
後ろ暗いことがないなら
悪魔は恐れる必要がありません

種があり 根がある状態では
逃げる以外に方法はありません

しかし その状態では悪魔に
歯軋りをさせることは出来ません

自分の中から罪の根や種を完全に
焼き尽くして頂く必要があるのです

正にこの聖句の通り
罪人は正しい者のつどいに立てないのです

詩篇1篇
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに椊わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
罪人は、正しい者のつどいに立てない。
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
しかし、悪者の道は滅びうせる。

聖霊さまによらない自制というのは
罪を隠すことと似ている気がします

聖霊さまによる自制と
自分自身による自制の違いは
批判を伴うかどうかであると思います

もし自制している故に他人を批判するなら
それは自分も他人も裁いていることになり
それは聖霊さまによる自制ではないと思います

裁きが伴うような自制は手放さなければなりません

その代わりに 神様への従順を
手に入れる必要があります

自分にはどうすればいいかわからなくても
神様は全てを良くしてくださる方です

まずは神様のところに来なさい

ここに来て そして休息をしなさい
私のくびきを負いなさい

それが 人をどう愛すればいいのかと
祈ったときに神様に示されたことでした

神様のものになる前に
人をどう愛すればいいのかはわかりません

神様より人を愛してはいけないのです
まず神様を愛して 神様の愛を知らなければ

神様が愛するように人を愛することは
出来ないからです

まず神様から自分がどのように
愛されているかを知らなければいけません

私は祈ります
神様からしつこいと言われようと
私は祈り続けます

どうか その人が気付きますように
神様は 自己実現に目が眩んでいる
その人のためにも良い行いを用意しておられます

その人の目が開かれて その人にも
良い実を結び 豊かに生きることが
約束されていることにどうか気付きますように

神様 どうかその人を赦してください
あなたと生きることの素晴らしさを
知る知恵知識が与えられますように

本人がそれを望みさえすれば
いつでも神様は応えてくれださることを
その人が知るようになりますように

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