どんなに人の思いや考えが
多様であったとしても
真理が多様であるはずはありません
この世の摂理の原理原則が
変わらないことは
神様ご自身が 義なる方であり
一度決めたことを決して
覆すことがない方であるからです
例え 人に多様な思いがあったとしても
神様の作られた世界の中で生きるものが
神様の定められた理を否定したところで
その理が変わることは決してありません
神様は 神様に反発をして滅びる人にも
等しく愛とみ恵みとを注がれます
ですが
私たちに対しては 神が愛を注ぐように
愛を注ぐようにと教えながらも
彼等と共に歩いてはいけないと戒められています
神様の御心 神様のやり方で
一致をする場に居ることが出来るなら
それに勝る幸せはないと確信しています
好きなことをして滅びるのは人の勝手だ
と 言う人は多いのですが
しかし神様は 罪で滅びることなく
いのちを受けて欲しいと仰っており
いのちを受けるものには
特別なみ恵みを注がれます
滅びるために生まれたのであるなら
その人生はあまりにも虚し過ぎると思います
伝道者の書2章24-26節
人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に
満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。
これもまた、神の御手によることがわかった。実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。
なぜなら、神は、みこころにかなう人には、
知恵と知識と喜びを与え、罪人には、
神のみこころにかなう者に渡すために、
集め、たくわえる仕事を与えられる。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。
ここに書かれたことが真理であるとしても
神様は ひとりとして滅びることを望んではおられないのです
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