神様の邪魔をしない生き方を選ぶ

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今日は 非常識なまでに豊かな神様の恵みを引き出すために
手放すべき思いについて書いてみようと思います

聖書には 権威について
「彼があなたに益を与えるための、神のしもべ」
という表現をしています(ローマ人への手紙13章1-5節参照)

逆を言うなら 上の権威にある人は
下の人に益を与える責任があると言えます

私たちにとって上の権威とは
親 雇い主 行政などがそれに当たります

もし上の立場の人が神に忠実であるなら
それは幸いなことです

ですが 例えクリスチャンのリーダーであっても
完璧な人はいませんし
人間的な思いの中での戦い(葛藤)はあります

以下は 私が知っているリーダーたちが
実際に体験をした証です

ある預言者の女性は お金が全くない時に
子どもから「アイスが食べたい」と言われて
「そんなものを買うお金がどこにあるの!?」
と言ってしまったそうなのですが

その瞬間に神様から

私がアイスクリームぐらい
あげることが出来ない神だと
子どもに教えないでほしい

といったニュアンスの示しがあったかと思うと

玄関先でコトンと音がしたので
行ってみると お金が置いてあったそうです
(教会の人からの献金だったそうです)

また 世界中を飛び回っているリーダーに
何人かの教会員がついて行った時

リーダーは飛行機にたくさん乗っているため
マイレージが溜まっていて良いクラスの席に
無償でチェンジすることが出来るとわかると

他の教会員も 私たちは権利はないが
何とか頼んでもらえないかと言うので
リーダーは ダメだと思うよ?と言いつつも
頼んでみて やっぱり断られたそうなのですが

搭乗の直前で 突然良いクラスにその人数分の
キャンセルが出てしまったそうで
特別に全員がクラスをチェンジ出来たそうです

また 牧師さんの息子が クラスの子が
ビジネスクラスに乗ることを自慢するので
自分も乗ってみたい!と言ったそうですが

そんなのは大人になって自分で
稼げるようになってからにしなさいと怒ったのだけど

神様は 航空会社の手違いで子どもの席だけを
ビジネスクラスにチェンジしてくださった
という証もありました

一見非常識とも思える要求に対して
権威者であった親やリーダーには
チャレンジがありましたが

権威者からではなく神様から
み恵みが来ていることがはっきりとわかり
自分がやっているのではないことを
彼らは知ることとなったでしょう

これらの証を通して思うことは

この世の常識の範囲を遥かに超えた神様を
この世の常識で縛ってはいけないということです

聖書でみ恵みを受けた人たちは多くの人が
非常識な行動を褒められていますが

御国においてそのような信仰は
誉むべきものなのです

み恵みというのは
神様が与えたいと思われるかどうかが問題であり
人の目に相応しいかが問題ではありません

積極的に天の財産を引き出して
神を証して賛美をする生き方を
神様は特に喜ばれますし

御国の住人であるなら
そうあるべきだと思うのです

とは言え やっぱり恵みを頂きすぎると
遠慮してしまうことはありますが

その「遠慮」が 自分が受ける分どころか
自分が流すべき相手へ流すものを
滞らせてしまうとしたらと考えると
自分の思いは手放さなければといつも思います

神様の栄光を現す器になりたいなら
神様の栄光が現れる邪魔をしてはいけない

当たり前のことなのですが
日々最も意識していることです

先日 ある祈りの時に神様は
まずは自分が恵みを受けなさい
それを人に流すのです

と はっきりと示されました

またりゅうくんは 自分が神様から受けたものを
他人の杯に注ぐと量が増えた という幻を見たそうです

神様は 私たちに十分なみ恵みを与えてくださいます
それをきちんとしっかりと受け取っているなら
他の人に与える分もくださいとお願いすれば
その分も与えてくださる方です

自分の証として 実際に与えられた話もあります
尊厳とプライド参照)

自分がやるのではありません
神様がされるのです

そのことを しっかりと受け取りたいと思います

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