子どものような信仰

神様に出逢う前 大きな決断をする時や
何か問題に直面した時には
当たり前のことですが 自分で考えるか
人の意見を参考にして対応するしかありませんでした

その結果が吉と出るか凶と出るかは
運でしかなかったわけです

ですが 今は全てを神様にお委ね出来ます
もし委ねることなく自己判断で動いてしまい
失敗した時すらも 神様にお願いすることで
プラスに変えて頂くことが出来ます

これは とてつもないことです

このことは

神様に出逢うことで 問題が起きなくなるとか
不測の事態が起きなくなるということではありません

また神様がいるからどんな選択をしても
良い という意味ではありません

むしろ 不測の事態はクリスチャンになる前より
起きているかもしれないと思うほどですし
知ったからこそ出てくる責任もあります

ですが 聖書にある原則を守った上で
神様の御声に耳を傾け その御声が
人の目から見たら非常識なものであったとしても
神様のものだとしか思えない と思って
信じてその通りに動いた時に

全てがプラスに変えられます

ですが 律法主義的に考えてしまって
神様の非常識な示しを無視してしまったり
そもそもで聖書の原則で考えた時に
間違えたことをしてしまった時には
自分の行動の結果は刈り取る必要が出てくる

そのことは クリスチャンになった後でも
原則が変わることはありません

でもその時に きちんと正しい態度で
(今度こそ)神様の示しに従って
誠実に その刈り取りに取り組めば
全てをプラスに変えてくださるのです

クリスチャンになる前は 原則を知らずに
なぜ悪い結果になるのかわからなかったことが

何が罪で 何が義かを教えてくださる方
聖霊さまが頂けることにより
悔い改めややり直しが可能になるのですが

そもそもで クリスチャンになる前は
一度やってしまった失敗を
完全に消すことが不可能だったのです

ですがイエスさまの贖いを受け入れることで
そこにある罪や呪いが消えるために
やり直しのチャンスがいただけるようになりました

更には クリスチャンになる以前の
過去の失敗までも全て回復してくださるのです

これこそが 恵みであり
イエスさまを(子どものように素直に)信じる人だけに
特別に与えてくださる特権なのです

詩篇8篇1-4節
私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、
なんと力強いことでしょう。あなたはご威光を天に置かれました。

あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、
力を打ち建てられました。
それは、あなたに敵対する者のため、
敵と復讐する者とをしずめるためでした。

あなたの指のわざである天を見、
あなたが整えられた月や星を見ますのに、

人とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは。

子どものようであることはとても大切なことです

ですが多くの人は あまりにも神様が
多くのものを下さり過ぎるので
「大人の態度で」遠慮をしてしまうのです

神様はここまでやって下されば十分です
ここから先は自分でやります という風に
委ねきれない人が多くいるように感じます

ですが私としては 神様に全てをお委ねして
自分は 自分にしか出来ないことを
神様の御手の中でやる方が絶対におすすめです

そのようにすれば 全ての責任を
神様が取ってくださり守りも硬くなります

敵の中で自分一人で奮闘することと

神様に全てをお委ねして
自分に割り当てられた分だけを
気負うことなく行うこと

この2つは責任の重さ的にも
完成度的にも比較になりません

マタイの福音書11章28-30節
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

自分にでも神様にでも出来ることだったら
神様がやる方が遥かにハイクオリティで
素晴らしい出来栄えに決まっています

ですが 神様には出来ないこともあれば
神様が 賜物を育てるために
自分にやらせたいこともあるのです

それは 自分がやりたいことであるとは限りません

人にしか出来ないことについては
とんでもなくハードルが高いこともありますし

特に 賜物を磨く過程というのは
失敗の連続で 嫌になってしまうこともある

ですが もし自分勝手に動いて
失敗すれば自分で片付けるしかないですけど

神様がやりなさいと仰ることで
失敗した場合は必ず神様のフォローが入ります

勿論 人は自由意志を持っているので
神様 ここは自由にやらせてくださいとお願いすれば
自由にやらせてくださいます

でも 神様と一緒にやる時には
神様の喜びとみ恵みとご好意とが
満ち溢れた中で鍛えて頂けるのです

目に見えない方に全てを委ねることは
とても緊張しますし勇気が必要であり
大人になればなるほど難しいのかもしれません

ですが 神様は 子どものようであれと仰います

そこにはプライドの問題や何やら
色々な余計なしがらみが含まれるわけですが

それを乗り越えた時に
神様とみる景色は本当に素晴らしく

そのみ恵み 滴る蜜のような戒めを
一度味わってしまったら もう
過去には戻れなくなるのです

神様の御前で大人であることには
何の価値もないどころかむしろ
余計なことであると感じます

神を知らない人が作った 人に依る生き方は
不健全で不毛であまりにも非効率的過ぎます
そんな大人の世界を見て 子どもたちは
大人になりたくないと思ってしまうのです

神様と共にいる時の健全さは本当に素晴らしく
やっぱり人は 本来神様と共に生きるように
創られた存在なんだと思います

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