イエスさまの弟子となる

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昨夜りゅうくんが 海外の教会のスクールに
行って学びたいと思ったけど 違うんだよね

と 言ったのですが

私も2年前に同じことを思ったな と思いました

ある時 イエスさまの弟子になりたい と
強く強く思う時期があったのですが
その時に同じように 誰かからか学びたいと
思いましたが それは違うということはわかっていました

そして今 私はきちんと
イエスさまの弟子にして頂いていると
実感することが出来ています

それは 纏うように私の外側にいらしたのです

昨年 YWAMのセミナーがあった時に
お祈りをお願いすると

あなたはもうわかっているから祈る必要はない

と言われました

ですが実際は 表面的な態度と自分の心の内に
乖離があり それをどう埋め合わせればいいのか
わからなかったのです

表面的な態度だけを言うのであれば
祈りによりイエスさまの衣を着ることは出来ている
そのことはわかっていました

ですが それはイエスさまが為さっていて
自分ではないという思いが強くありました

何故心の内を解放出来なかったのか
それは自分自身の嫌な部分と向き合うことになるからです

神様は 私の悪い部分も含めて愛してくださっていますが
私は自分の悪い部分を愛せていないのです

そのこともひっくるめて愛されていたのですけど(苦笑
とにかく 私が納得していなかったのです

愛することというのは妥協ではありません
人だから仕方がないよね というのが愛ではなく

イエスさまに強められて変わることが出来る
と 信じてあげることなのです

自分の嫌な部分が イエスさまにより
強められるということの意味が
わからなかった ということなのですが

今ならわかります

自分のやり方ではなく イエスさまのやり方を
出来るようになるということであり

実際にはできていたわけですから
それが「自分がやっているのではない
イエスさまがやっていると」いう
強い拒絶が癒されて

「自分はイエスさまと一緒に出来ている」と
受け入れることが出来ればよかったのです

ある人から祈って欲しいというメッセージが来たので
その人に必要な証をいくつかご紹介しました

その証を書いているうちに気が付いたことがあります

神様が 何か行動をしなさいと仰るとき
それは まだ実現していないことでも
あたかも実現したかのように振舞いなさい

ということであるということです

これは よく聞く話ではあります
癒しの祈りの時に 既に自分が癒されたかのように
喜び感謝することが大切だと教えられます

ですが 以前はこれを「自分の信仰で掴む」という
自分の思い込みに頼る感じがしていたのです

でも実際は違いました
自分の思いに頼れと言う意味ではないのです

それは預言的行動をしなさいということであって
本当に 神様は前味の味わいを下さる方なのです

ある日 私たちはとても素晴らしいご馳走を
続けて食べる機会がありました

一瞬 こんなに贅沢をしたのだから
明日は質素に過ごそうかと思ったのですが

神様は 自分の思いで制限しないようにと制し
これは始まりでありずっと続くよ と仰いました

その数日後に 祝宴の賜物を持つハワイの教会と
うちの教会が姉妹教会になったことを知ったのです

私たちは 前味を味わったのです

他にも 私たちは神様の啓示により
色々な前味を味わっています

先月 ある祈り会で宣言をしてからは
街を歩いている時

行き交う人々全てが イエスさまを見て賛美し
イエスさまの前に膝を折る時が来るんだなぁ

祝福します!と一人ひとりに言いたくなるような
気持ちで歩くようになりました

この啓示は うっかりすると敵に
奪われたり盗まれたりする類のものです

なので 思いを守る責任が私たちにはありますが

この人たちは イエスさまにより
強められて変わることが出来ることを
神様の啓示により信じることが出来ることは
本当に幸いなことです

実際は 何も変わっていません
ですが イエスさまによって
前味を味わうことが出来るのです

これは 私の信仰などではありません
思い込みなどではなく

ただ 与えられたものを受け取るだけであり
受け取ることを宣言した時に
与えられるものなのです

だから

イエスさまの弟子になりたかったら
私はイエスさまの弟子になります!
今から私はイエスさまの弟子です!

と 宣言すればよいってことで
あとは与えられる前味をしっかりと
味わえばいいだけです

イエスさまの弟子であり 友であり
花嫁である たくさんの表現がありますが

今 自分の中心をイエスさまだけにする
という時期なので 本当にこの啓示は
大切なものであると感じます♡

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