賜物の回復

先日神学校で 5役者の賜物にある
長所と短所を学びました

その中で(どの役とは言いませんが)
短所すべてを網羅しているものがありました

これこそが 本来の自分の人生を
自分で傷つけてきた結果だろうな

と 思いました

傷付けて来てしまった理由は
その賜物にある「長所」を尊敬しなかった
(軽蔑してしまった)からで

尊敬の文化の学びが大切である理由は
正にこれだと思いました

御国の尊敬の文化は 世の成功哲学的な
「成功している人の真似をすると
相手の賜物がもらえる」という話ではありません

どんなに尊敬に値しないと思う人でも
相手を尊敬し 赦すことを選ぶと

人に対して犯している罪や恥が取り去られ
人格的な回復が与えられる というお話です

真の神様の他 誰にも真似できない御業です
どれ程にパワフルなことであるかと思います

昨日の記事(自由を奪う権威に従わない)で触れた通り

人に対する罪というのは
神様が人に与えられた「自由と尊厳」を
尊重しているかどうかにかかっているように感じます

そして 神様が仰る「互いに愛し合いなさい」とは
自分なりの愛し方をしなさいという意味ではありません

「神様が愛するかのように愛し合いなさい」なのです

相手の尊厳を認めずコントロールしようとしながら
愛している と言うことは絶対に本物の愛ではありません
神様のご性質と御国の文化参照)

その嘘(偽善的な愛)は 手放さなければなりませんが

手放す価値は十分にあります 何故なら
自分自身や相手が悔い改めにより救われ
「良い実」を結ぶことが出来るからです

悔い改めにより生じる実は
神様お一人では絶対に生じえないものです

人の選択が必要不可欠であり
悔い改める時 あなたは
神様の同労者の歩みを踏み出すのです

悔い改めが神様に認められるものであったかは
結ぶ実でもって見分けることが出来ます

自分にも他人にも 神様の奇跡的な
癒しと回復を見ることが出来るなら
その悔い改めは本物であり
神様に受け入れられるものだとわかるのです

尚且つ その実がどんなものであるかは
人が想像出来るようなものではありません

悔い改めた時にどんな奇跡が起こるかは
誰にも想像が出来ないのです

何故なら

壊れていた賜物の正体がどのようなものであるかは
本人すら知らず 他の人にもわからず

ましてや 神様がその人にどんなご計画をお持ちか
全容を知るものは誰一人としていないからです

神様は 一人ひとりをユニークに作られていますから
同じ賜物を持っていたとしても
1つとして同じものはないのです

100人の癒しと解放があれば
100個のストーリーが生まれます

正に 神様の栄光です

それを 一つでも多く見てみたいと思います

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