羊は羊飼いの声を聴く

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癒しの祈りや預言の祈りをする時

取り次ぎ手となる自分自身は
どういう意味かわからなくても
それを受ける人には意味が分かる

ということがあります

自分の思いが入る余地がないのは良いですが
本当にこれを言えば良いのかな?という
思いを乗り越えて勇気を出して
伝える必要はあるかもしれません

先日 ある教会の先輩姉妹に
思いがけず言われたことがありました

私はよく 知らない土地にいたとしても
人から道を聞かれることが多いのですが

話しかけやすいんだと思っていましたが
そういうことではないと言われました

警察とかに道を聞いても
わかっている人の視点で教えるから
わかりにくいものなのよ

と いうことは

私が道を尋ねられるのは
「自分にわかるように教えてくれそうだから」
ということになります

…率直な感想として

みんなすごいな!エスパーか!!!

と 思いました^^;;;;;

この人だったらわかりやすく教えてくれそう と
通りがかりの初対面の人に対して印象を持つとか
どういう基準で人を見てるのか全くわかりませんが

人というのは案外霊的なものを
直感的に読み取っているものだ

ということなのでしょう

そして思いました

言葉というのは霊の領域のものです
言葉は目に見えません

同じことを言っていても
言い方ひとつで心に響いたり響かなかったりします

私の言い方では通じなくても
イエスさまに言われたことをそのまま伝えると
理解してもらえることがあります

聖書の中でイエスさまは
羊は羊飼いの声を聴き分ける

と仰っています

聖書の中で 人々の垣根を越えて癒された人たちは
この方ならきっと私を救ってくれるという
揺るぎない信仰を持ってやってきました

わかる

ということなのです

聖書の中で 何人かの人が
イエスさまのお言葉を求めました

マタイの福音書8章8節
しかし、百人隊長は答えて言った。
「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、
私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。
そうすれば、私のしもべは直りますから。

マタイの福音書14章28節
すると、ペテロが答えて言った。
「主よ。もし、あなたでしたら、私に、
水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」

イエスさまの言葉に 力があります

昨日も書いた通り(神様の示しは必ず良い実を結ぶ参照)
イエスさまがやりなさいと仰ったことは
必ず良い実を結びます

イエスさまの言葉に対する飢え乾きがあることは
とても幸いなことだと思う今日この頃です

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