神様が創る土壌

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今日はとっても色々なことがあり
1つの記事としてまとめることが
大変困難なのですが

その中で とても大切な概念があったので
それを書きたいと思います

良い心の土壌を作ることの大切さと
良い心の土壌を得るための「強さ」を掴むこと

と言うお話です

ルカの福音書8章5-8節
「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、
道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、
空の鳥がそれを食べてしまった。

また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、
水分がなかったので、枯れてしまった。

また、別の種はいばらの真中に落ちた。ところが、
いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。

また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」

イエスは、これらのことを話しながら
「聞く耳のある者は聞きなさい。」と叫ばれた。

これはみ言葉を聞いた人の心の態度を言っています

それぞれの詳細はルカの福音書8章11-15節をご参考頂きたいのですが

今回は 4番目の「良い地」についてだけ書きたいと思います

み言葉を聞いた時の心の態度について
8章15節にはこのように書かれています

正しい、良い心でみことばを聞くと、
それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。

神様の言葉は ただ聞くだけで終わりのものではなく
自分の中で実らせることが出来るものなのです

ですが

心に傷があったり 悪い経験から来る苦い思いがあると
正しい良い心を持つことは難しくなります

例えば私の場合(過去にも書いていますが)
洗礼を受けてすぐの頃 イエスさまのみ言葉の中で
どうしても受け入れることが出来ないものがありました

それは

ルカの福音書11章11-13節
あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、
魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、
自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。

この箇所です

神様が良いものしか与えられないことはわかります

ですが 父は根っからの偶像崇拝の人だったので
良いものをくださいとお願いしても
自分が信じる悪いものを代わりに出してくるので
くださいというお願いすらしなくなりました

なので神様が良いものしか下さらないことはわかるけど
この例え話については受け入れられなかったのです

初めてこの聖句を聞いた時
親とはそういうものなのか と驚いたと同時に
私はそんな経験はしたことがない という
悲しくて惨めな思いが湧いてきてしまったのです

これは 正しい良い心とは言えません

このように 幼い頃の経験や心の傷が原因で
神様の愛を真っ直ぐ受け取ることが出来ないことは
私に限らず 多くの人が抱えている問題です

神様は 恵みをたくさんくださいますが
荒地に種を撒いたとしても種は芽を出しません

ゴミや石がたくさんある土壌からは
まずゴミや石を取り去らなければなりません

焼けただれていたら その部分を取り去り
代わりに良い土を入れて頂かなければなりません

ゴミや石を投げ込んでくる存在がいたら
離れたり守ってもらうなどして
ゴミや石が入ってこないようにする必要もあります

投げ込まれたからと泣いているわけにはいかないのです
守るために戦う必要があります

ですが

それらの全ては 自分でやるのではなく
神様にお願いするだけでいいのです

自分でやろうとすると途方に暮れてしまいます

神様がゴミや石を取ってくださり
神様が悪い土を取り去ってくださり
神様が良い土を入れてくださり
神様が守ってくださいます

人はただ 神様にそれをお願いすれば良いだけです

攻防戦に疲れてしまった人は
お願いをする気力もなくなっています

また 良いものが来ようとする時
敵も最後の悪あがきをします

ですが 命の息吹を吹き込んでくださるのは
全てに勝利をされ全天全地の権威をお持ちの神様です

悪あがきは多少痛いかもしれませんが
神の子が負けることはありません

神様が与えたいものというのは
み恵みや癒しだけではありません

神様と共に生きることに対する
揺るぎない自身も持って欲しいのです

思い浮かべて欲しいのですが

空き地にゴミがあると 悪者に限らず
多くの人が真似をしてゴミを投げ込みます

ですが綺麗に整えられ 作物が植えられた畑に
ゴミを投げ込むのは本当に悪者だけです

投げ込ませない態度 また
投げ込まれた時にNoを言えることというのは
とても大切なのです

人による支配の打ち砕きもご参照ください)

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