イエスさまを受け入れることの意味

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神様は 私たちがどんな者であろうと
祝福の器 ご自身の栄光を現す器と
することが出来る方

石からアブラハムの子孫を
起こすことが出来る方と
聖書に書いてある通り

どんな被造物からも
約束の民を選び出し作り替えることが出来る

神様に対して
報いてください 私はこれだけやりました
と言うことは

自分の栄光を神様に認めさせようとする態度であり
神様はそのような人を義とは認められません

神様は
憐れんでください 私には何も出来ないのです
と言う人を愛する方ですが

もうひとつ

神様の栄光を現す器としてください
人には出来ないことも
あなたには可能であることを
どうか示してください

という祈りも 神様は喜ばれます

(そして 神様に栄光をお返し出来ることを
感謝することで私たちは満たされます)

神様に喜ばれる生き方というのは
神様が全てをお持ちで全てを可能だと
信じて それを現す器となることです

神様は 霊であり肉をお持ちではありません
また 神様は人に自由意思を与えたので
神様を求めない人に与えることはしません

悪魔の支配にあり苦しみつつも
この範囲で上手くやるしかないと諦める人

自分は神様に愛されるに
相応しくないと背を向ける人に
神様の語りかけは届きません

神様は いつでも
ご自身の元に帰って来て欲しいと思っています

私自身は

自分の範囲で諦めるというか
満足してしまっていた人だったなぁ

と 思います

ですから私にとっての神様は
祝福をねじ込んで来られる方 です

「わたしはもっと与えたいんだ
本当のあなたはこんなものではない
心を開きなさーい!」

と 導かれたと感じます(^_^;

昨日のことですが

教会で今までないほどの
平安が与えられた後に

何故 私がイエスさまと向き合うのが
怖かったのか 理由がわかったのです

それはイエスさまが 私の本当の望みや
欲求をきちんと自覚して妥協しないでと
仰るからなのです

身近なことで言うなら

本当はこれを食べたいのに
~~だからと理由をつけて
本当の思いを歪めるのは
何かの奴隷となっている状態であり

食べるべきですか?と聞いて欲しいと
イエスさまは思っていらっしゃったとわかりました

イエスさまの「私に甘えて欲しい」というのは
そういう意味だったのです

高い安いという判断はお金の奴隷ですし
体に悪いとか太るとかいうのは
間違えた栄養学の奴隷です

何がよくて悪いかは神様が全てご存知なので
そんなものに頼らず神様を頼りなさい

と仰るのに

神様が やってもいいし
むしろ喜んでやりなさいと
仰っていることを

私は こんなに自分の欲求通りに
自由にしていいのかと恐れていたのです

このことは 祈ることが全部聞かれるとき
自分がコントロールしているようで
落ち着かなかったのと同じ気持ちです

ですが

私が他の何かの奴隷となっていたことを
自覚して 理解して 悔い改めて
イエスさまを完全に受け入れた時

与えられる知恵知識の精度が上がりました

今日 りゅうくんがバイトから帰ると
土曜日仕事を入れるべきか
神様に聞いて~と言ってきました

来週月曜日は 所用があり
りゅうくんも休みを取る必要があるため
勤務日数が1日減ってしまうのです

イエスさまの方を向いたら
りゅうは(仕事に)行きたいんだろう?
入れればいいよ と 仰っているので

イエスさまはそう言ってるけど?
と伝えたら

えっ 行きたくないと思ってたんだけど

とりゅうくんは言うのです

と 言ってますけど~と
もう一度イエスさまの方を向いたら

りゅうは バイトに行きたくなのではなく
澄子との時間が減るのが嫌なだけ

バイト自体はむしろ 色々な人と会えるし
神様と一緒だからすごく恵まれるし
りゅうは外に働きに出ることは好きだよ

それにバイト帰りに撮る写真
あの風景を見れることを喜んでいる

と 仰るのです

りゅうくんに そう伝えると

じゃ 入れるわ

と さらっと納得したのです

そっかー りゅうくんは
サボりたい訳じゃなくて
私との時間が減るのが嫌で
働きに出るのをごねてただけかー

と 思ったら

りゅうくん本人が
自分はサボりたいのだと思ってたけど
そうじゃなかったのかー と言うのです

要するに
りゅうくん自身が
自分のアイデンティティ?

本当の自分の思いを
勘違いしていたことがわかったのです

その歪みが紐解かれた途端に
私の肩から首にかけての
重さや痛みがすっと消えました

正に重荷が取られた感じでした

そして 涙がたくさん出ました
解放の涙でした

りゅうくんが 私に甘えて
本来やるべきことに向かってくれない
ということは感じていたのですが

それは私が甘やかすのが悪くて
私に原因があるのだと思っていました

愛したいけど愛を注いでしまうと
依存されてしまうのでは
私はどうすればいいのだろう

これはりゅうくんに出会う前から
人生を通しての悩みでした

ですが

りゅうくんの勘違いであったことを
イエスさまが解き明かしてくださり

りゅうくんはあっさりとその勘違いを
手放してくれたのです

先日イエスさまとの関係をりゅうくんに聞いたとき

イエスさまの紡いだものは
私の周りを覆い 私を守ると
教えてくれました
(知恵知識(のことば)の正体参照)

私が纏っているのは知恵知識です
その知恵知識が 私を守るというのは
こういうことだったのです

また

愛を注ぐと甘えられてしまうことは
人生の悩みだったと書きましたが

実はそのことで一番困っていたのは
仕事におけるお客様との関係構築でした

お客様に必要以上に依存されてしまい
ビジネスの関係を越えて振り回され
本当に困っていました

仕事で多くを求められるという意味ではなく
(それは線引きすればいいだけなのですが)
仕事という線を越えた プライベートな領域で
色々と要求をされてしまうのです

それにより無駄に時間を取られたり
それが原因で体調を崩してしまうこともあり
仕事にならなくなってしまうのです

それは 私が相手のことを
理解し過ぎてしまうことと
困っている人を助けたいと
思ってしまうことが原因でした

明確に線引きするようにはしてきたものの
あり得ない非常識な要求をされること自体が
負担となっていたのです

特に社長さんは 社員や家族には
言えないような悩みも多いので
わかってくれる人というのはどうしても
頼る対象になってしまいがちです

しかも クリスチャンになってからは
その感度が更に高くなってしまい

(本当は この感受性が強すぎるのを
取ってくださいと祈っていたのですが
聞いていただけませんでした(^_^;

クリスチャン以外の人と話をすると
背後の霊的影響までもろに食らうようになり
外に出ることすら大変になっていたのです

ですが昨日 久し振りに
仕事の打ち合わせがあったのですが

その土地に対して 守りの祈りをしたとき
雰囲気の変わり方が全く違いました

完全に 霊的な邪魔が静まったことを感じ
祈ることで そこが霊的に
守られた空間になることが
はっきりとわかりました

その中で 安全に打ち合わせを
することが出来たのです

そして今日は そのことに加えて
その安全な範囲の中で
イエスさまの知恵知識により
人を導くことが出来て

それにより 相手がたて上げられ
私は守られる ということを
はっきりと理解することが出来ました

神様が 私を通して
知恵知識というものを通して
何をされようとしているのかも
やっと理解出来ました

知恵知識があっても愛がなければ意味がない
知恵知識だけでは意味がないと
思っていましたが

イエスさまから出る知恵知識は
それだけでもう 愛であり
完全なものだったのです

確かに私にある知恵知識の賜物は
自然の賜物で 聖書に出会うまでに
余計なものをたくさん取り込んできました

ですが 霊的な見分けが出来るようになった今
神様から出た知恵知識なのか
そうではないものなのかの取捨も
出来るようになっていたのです

私にとって 愛のない知恵知識はもう
過去のものだったのです

そして私は そんな死んだ知恵知識ではなく
生ける神様から生きた知恵知識を
取り次ぐものとして召されていた

その事に気付かせて頂いたことに
本当に 心から感謝します❤

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