意味がわからなくても従順になる

今日の示しはとてもシンプルでした

洗礼を受ける前 まだ神様の子でなかった時
求めても得られなかったために
諦めてしまったことを期待して求めなさい

この示しがある前に起きたことを書きますが

ここ一年ぐらい 神様は私の怒りを
用いてなにかをされようとしていました

怒ることはエネルギーを使うし
言う方が傷付くので

以前の私なら 黙っているか
自己完結してスルーするか

さもなければ

ものすごーーーく相手のことを考えて
良好なコミュニケーションを取る
努力をすることが殆どだったのですが

ここにものすごくエネルギーと時間を
取られるのが結構ストレスでした

ところが

神様からは 良い子になるな 怒れ!
と促されるのです

始めは なんでー?聖書には
怒りは良くないと書いてあるのに

と 思ったのですけど

神様に促されて怒った数々のことを
振り返ってみると

全てにおいて 状況も人間関係も
大変良くなっているように感じるのです

そもそも私の怒りは

神様がこう示してるのに
なんで違うことになってるの!

という怒りと

敵に同調してるんじゃなーい!

という怒り それから

人は良いことは忘れるが
悪いことをされたら結構覚えているもんだが
不快感を足掛かりにして
敵がゴミを投げ込んでくるからだ

寄って

人に対しても不快感を与えるような
ことはするな
霊的なゴミを自分の元に
招き入れることになるから

の3点です

怒りというより躾なのかもしれませんが
全てに共通することは
霊的なゴミを持ち込むな なのです

念のため言うと 怒る前に
優しく何度も教えているのですが

それでも改善されずに
面倒事が起きると怒らざるを得ないのです

しかし最近は イラッとした時に
事前に釘を刺すことも増えています

それでも改善されない件について
神様から示されたことはこれでした

聞いて理解して納得して動くなら
あなたの範囲によりあなたの栄光しか現れない

意味がわからずとも聞いたらすぐ行動し
自分が何をしているのか
自分が何を言っているのか
理解出来ないからこそ
そこに神の栄光が現れる

意味を求めて理解するまで動かないなら
神様の栄光は現れない ということです

神様が仰有ることは意味がわからなくても
従えば良いことが起きるに決まってる
という信頼により動くことで
神様の栄光は現れる 確かにその通りです

良いとわかっていることだけに
従順に従っていても それで現れるのは
その人の理解の範囲の栄光だけですものね

…確かに

イエスさまの前で信仰を褒められ
奇跡を受け取っている人たちは

人の家の屋根を破ったり
律法を破ったりしてますね

そして 冒頭に戻ります

洗礼を受ける前 まだ神様の子でなかった時
求めても得られなかったために
諦めてしまったことを期待して求めなさい

求めるのが下手な私に対して
まず 怒りを用いられた というのは
我慢する癖を直すためである気がします

先日 りゅうくんに寝惚けて何度も蹴られたとき
神様これどうすればいいのー!
赦すべきところなの?我慢しないとなの?

と 心の中で叫んでいたら

澄子は澄子のままでいいんだよ

と神様が頭を撫でてくださった途端に
りゅうくんががばっと起きて
きちんと自分の場所に帰ってくれました

神様は こんなことにまで
答えてくださるんだなぁ…と
びっくりしたのと同時に

良い子にならずに求めて良いんだよ
と いうことであるように思いました

以前なら こんな叫びもせずに
ただ泣いていたように思います

そして 怒りが素直に出てくるようになった今
やっと 本題である「求める」に
コマを進められたのではないかと思います

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