神様にとって特別になる

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今日は 最近人と話をしている時に感じた
神様の選びについての勘違いと誤解について書いてみます

長文なのでお時間がある方はお読みください…

さくっと要点だけまとめて書くと

神様にとって特別な存在というのは
神様と本気で相思相愛になりたい人のことであり

未熟なままで神様は人を愛していて
神様に委ねることで人は
良いもので満たされることが可能になる

それは 他の人より優れてるとか勝ってるとか
出来る 出来ないとかいうのは全く関係ない

というより 人には無理だから委ねるのであり
人(自分)には無理 ということを知ることが必要なんだよ

というお話です

まず 天地全てに存在するものは
神様により造られたという前提があります

神様は 光と闇を造り 天と地 海と陸を造り
草木や動物 家畜を造り
そして人を造ってくださいました

それらは全て 言葉により為されました

そして人は ご自身に似せて造られ
被造物の中で唯一 言葉を使います

人は これら被造物の良き管理者となるようにと
特別な祝福を受けました

故に 人は全ての被造物の中でも特別な存在です

しかしアダムとエバの罪により
神様はご自身の手から人を失いました

失いはしましたが その息子である
カインとアベルと神様は対話をしています

人が罪の中に生きることになっても
神様と人との関係は存在しており

中でも エノクという人は神と共に歩み
死を見ることなく神に取られていなくなったと
聖書に記述されています(創世記5章参照)

ところがノアの時代に ノアの他の人は全て
神様の目に悪い存在となってしまったため
ノアの家族だけを神様は残されました

人類は一旦 ただ一つの家族を除き
全てたち滅ぼされているのです

その時神様は ノアの前に
人の思いが悪いことを理由にして
このように人を滅ぼすことはしないと
心で誓われました

そして早速 ノアの子どもたちの世代に対し
ノアは祝福する者と呪う者と分け隔てました

酔って裸になった自分に
恥をかかせた子どもに呪いをかけ
尊厳を守り自分を隠してくれた子どもを祝福しました

呪いも祝福も 神様の意図とは別に
人の口を通して広がって行きました

人が悪い心で自由に言葉を使うことにより
どんどん人は悪くなっていきます

そうやって 神様の住まう御国とは違う文化が
地上に形成されていきました

悪い心で人が一致団結すると
危険だと判断された神様は
人々の原語を分けられました

言葉 というのはそれほどに危険なもので
神に似せて作られ言葉を使う人が
悪い思いで一致団結することや
呪いや破壊の言葉を使うことで
自滅していくことに 神様は心を痛められました

悪い心 欲望に生きる人たちは
聖く 善で義なる神様を疎み
自分たちの欲望を満たしてくれる
偶像を崇めました

そして人々は神様を見なくなったのです

しかし 偶像を造る家に生まれたにも関わらず
真の神を求めたアブラハムは
神様の導きにより偶像の地を離れました

アブラハムは 神様のことを絶対的に信頼し
正しい態度で神様の試しに応えました

故に 神様はアブラハムの子孫を通して
人類を救うことを決められたのです

人類には神様にとって2種類の
「特別な存在」がいます

ひとつは アブラハムの子孫です

神様はアブラハムの子孫を選び
彼らを通して人類を祝福すると決められました

しかしそれは 彼らが優れているからではありませんし
選びの民だから他の民と比べて
優れているとか偉いというわけではありません

彼等には 神を正しく礼拝し
聖書を語り継ぐ使命が課されました

特別な選びの民であり
神様を知ることが許されていますから
彼らの悪に対して神様は
特別に厳しく対応されています

知らないものよりも知っているものの方が
責任が重いのです

そしてもうひとつの神様にとって
特別な存在 それは
神様を慕い求め 神様を愛する人です

もし 本当に心から神様を愛しているなら
神様がやって欲しくないことはやりません
神様がして欲しいことをします

神様が 人に願っていることはただ一つ

最初に人を造ったイメージの通りに
人と共に生きることです

自分勝手に歩み 罪を犯すことや
呪いによって滅んで欲しくないのです

そもそもで神様は 人に
善悪を判断する能力を備えられませんでした

神様は人に対して ただ
神様に忠実であるように求められました

神様は そのようにして人と一緒に
歩くつもりだったのです

神様が共に歩き 直接導くつもりだったのです

ですが 人は神様の言いつけを破り
そのことにより人に罪が入りました

罪とは 神様の言いつけを破ることなのです

どうして殺人が罪なのか
それは神様が人を殺してはいけないと仰ったからなのです

ではどうして神様は殺人をしてはいけないと仰ったのか
それは恨みの連鎖が起こるからです
その連鎖から人を守るための配慮が聖書に書かれています

どうして安息日を守らないのが罪なのか
それは神様が安息日を守りなさいと仰ったからなのです

ではどうして神様は安息日を守るように仰ったのか
それは主人が奴隷(使用人、雇われる人)を
酷使させないためです

今の時代 安息日を守らないことが
罪に定められるような法律はありませんが

お金や仕事 世間を主人とする人は休みを取らず
神様を主人とする人は安息日を守るのです

ですが律法学者は 神様の心を知らずに
「規律を守るか否か」だけで人を裁き
規則を守っていれば偉い者であるかのように勘違いをしました

ですがそれが間違えであることを
イエスさまは御身をもって示してくださいました

神様は 規則ではなく 神様の御心を大切にする人
神様を一番に愛する人を求めておられる

しかし人には 神様の御心を知ることも出来ないし
善悪を判断することも出来ません

だからイエスさまは聖霊さまを送ってくださいました

聖霊さまは 私たちに神様の御心と
罪と義について教えてくださいます

聖霊さまに頼らずして御心を知ることは
私たちには到底出来ないことなのです

神様を愛し 神様がして欲しくないことをせずに
神様と共に歩く人は 神様の栄光を地に現します

ですがそれは 人の思いや力によらず
ただ聖霊さまの導きによるものです

そうでなければ 神様の栄光は決して地に現れません

神様の栄光を地に現す人は 神様の友であり
神様を愛する人は神様にとって特別な存在です

ですがそれは 他の人よりも優れているとか
偉いということではありません

ただ 御国の書に名を書かれていることを
喜びなさいと聖書には書いてありますが正にその通りで

人は ただみ恵みにより神様の愛を受ける存在であり

素晴らしく 優れているのは神様だけなのです

私は神様にとって特別な存在です

ですが それは私が特別何かすごいからとか
優れていたり偉かったりするということではありません

そうではなく 神様だけに期待をしているから
神様にとって特別なのです

私は 悪や欲が中心に回る世の中は大嫌いですし
聖書に書いてある「この世」の性質の
全てが無くなったら本当に素晴らしいと思います

病や貧困 呪いや争いが無くなり
愛と奇跡と喜びと平安が中心に回る世界に
住みたいと本気で思っていますし

人には無理でも神様になら出来ると思っていて
神様が創る世界に期待をしています

だから私は神様にとって特別な存在ですが

自分だけではなく 多くの人が
神様にとって特別な存在になりたいと願い
特別に愛されて欲しいと思っています

御国の到来 それは
神様にとって特別な存在が
地に溢れることだからです

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