尊厳とプライド

今日は幾度となく「尊厳とプライド」について
話す機会がありました

りゅうくんが神様から見せられたビジョンが
その違いを説明するのに
とてもわかりやすかったので
引用させてもらおうと思います

イザヤ書55章1-2節
ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。
金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買い、
代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。

なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、
腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、
良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。

この聖句をりゅうくんがビジョンで見せられたそうです

スーパーマーケットをイメージしてください
そこには神様が立っているレジの他に
よくわからないものが立っているレジがいくつもあります

欲しいものを買い物かごに入れて
神様のレジに持って行きます

すると神様がバーコードで読み取っていくのですが
全て「0円」と読み込まれます

しかし かごの中に不要なものが入っていると
神様は かごからそれを出されてしまいます

神様のレジでは 必要なものが無料で手に入りますが
「欲しいと思った不要なもの」はレジを通らず
手に入れることが出来ないようになっています

ところが 他のレジに行くと
商品の値段が点々バラバラで
場合によってはとても商品の質に見合わない
法外な金額が請求される場合もあります

りゅうくんが見たのはここまでだそうで
「レジを選ぶ知恵知識が必要だ」と感じたそうです

私はその話を聞いた時

神様のレジで欲しいものが捨てられるのを見て
怒って他のレジに行く人がいるなぁ

と 感じました

この判断をしているのが「プライド」です

私は欲しいのだから神様が不要だと言っても関係ない
私が欲しいものを認めてくれるところに行く!

と言って わざわざ自分から
自分を騙す耳障りの良い嘘をついてくれる
レジを探しに行ってしまうのです

勿論 その結果は目に見えています
必要なものにはお金を払わなければいけないし
場合によっては法外な値段で買わされてしまうのです

しかも 本人はそのことに満足しています

高くて不要なものを買うことも
ステータスだという刷り込みをされているのです

これは贅沢品は必要ないという意味ではありません

神様は 良いデザインや品質の良いものにも
十分価値を認めておられます

ですが それがその人に本当に必要なものかどうかの
判断があり 不要であるなら捨ててしまわれます

神様が大切にしてくださっているのは「尊厳」です

神様の目から見てあなたにとって
相応しいかどうか 必要かどうかを
神様の取捨により教えてくださるのです

私はこのことを ある時期リアルに体験しました

以前 私は安くて粗悪な食料をたくさん買うことが
節約のために必要だと思っていた時期がありました

ですが そのせいで体調を崩すこともわかっていたので
神様に「身体に良いものだけを食べたいです」と祈っていました

当時の私は 良いものを食べるためには
お金が必要だと思っていたのです

ところが神様は 収入は全く変わらない状態なのに
私が良いものしか選べない状況を作られました

具体的に言うと 高級食品しか売っていないお店でしか
使うことのできない商品券を貰ってしまったり

「知り合いの農家の人からたくさん頂いたから」とか
「近所で安かったから」とか言って
低農薬のお米や野菜を送って頂いたりしたのです

その時に「お金がないからと言って
悪いものを選んでいるのは自分だ」と気が付きました

そこで 自分が買い物をする時にも
必要だけ買わせてください
不要なものは一切買わせないでくださいと
必ずお祈りをしながら

信仰を持って良いものだけを
選ぶようになりました

すると不思議なことに 必要なものを買っても
不足することは一切ありませんでした

あれこれ様々な手段でもって
いつでも必要は必ず与えられるのです

同様に これは身体に良い これは体に悪いと
「人間の知恵」で判断していたことに対して
神様はテコ入れをしてくださいました

例えば お菓子を食べるのは
たまには良いけど食べ過ぎは良くない

と思っていると 教会に行ったら
大量にお菓子を貰ってしまうということが
何度も繰り返し起こったため

自己管理を諦めて 好きなものを
食べるようになりました

すると忙しかったりストレスがあったときは
食事の内容が良くても血液検査の結果が悪く

楽しく過ごせていれば お菓子を食べ過ぎていても
検査結果が良かったので

食事の内容は関係ないことがよくわかりました

一時期 神様に示されてかなり大量に
クッキーを作っていて試食もかなりしていましたが
それで数値が悪くなることもなかったのです

人の方法で改善されるのでは全く面白くない
神様の方法でなさってください!と
祈っていたのですが

今正に 人の知恵知識ではない神様の方法で
栄光を現そうとされていることを強く感じています

要するに

「粗悪品ではなく良いものを食べたい」という私の思い
「人の方法で改善してもつまらない」という私の思い

それを神様は「私の尊厳」として
大切にするように示してくださったのです

もし 私が自分のプライドを取って
神様の促しを察することをせずに

「そうは言ってもお金がないのだから」と
人目線で我を張っていたなら
決して奇跡は起きませんでした

また「与えられること 施されることは
みっともないことだ」と意地を張っていても
決して奇跡は起きませんでした

これが 尊厳とプライドの違いです

上記の例え話を用いるなら 私の場合は

神様のレジに粗悪品を持って行ったら捨てられてしまい
良いものだけがレジを通過し
お菓子をかごに入れなかったら
頼まずとも神様がかごに入れてくださったのです

その時に プライドや人の知恵知識が勝つか
神様が自分の尊厳を大切にしてくださっていることに対して
謙遜に感謝の意を表せるかで全てが決まるのです

神様のレジに自分が選んだものを持って行き
神様がレジを通さず捨ててしまわれた時に
プライドを振りかざして他のレジに行く人は確かにいます

また 神様のレジで0円と表示されているのに
何が何でもお金を払おうとしている人もたまにいますが
それもまた プライドでありこの世の奴隷なのです

ですが

神様がなさることは全て良いことだと信じているなら

神様が自分の意に反したことをなされた時に
その意味を真剣に考えることが出来るのです

その経験を通して「尊厳を大切にすること」を
知ることが出来るようになると感じています

蛇足ですが

ある時神様に「私が与えることが大好きなことは
神様はご存知ですよね 私を与えるものとしてください!」

と 祈ったことがありました

するとその直後から スーパーやファミレスで
私の前で小銭を落として見つけられずにいる人や
忘れ物をする人が多発するようになりました

その時思い出したのはこの聖書箇所です

マタイの福音書17章24-27節
また、彼らがカペナウムに来たとき、宮の納入金を集める人たちが、
ペテロのところに来て言った。
「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか。」

彼は「納めます。」と言って、家にはいると、
先にイエスのほうからこう言い出された。
「シモン。どう思いますか。世の王たちはだれから税や貢を取り立てますか。
自分の子どもたちからですか、それともほかの人たちからですか。」

ペテロが「ほかの人たちからです。」と言うと、イエスは言われた。
「では、子どもたちにはその義務がないのです。
しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、
最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、
それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。」

どう解釈すれば良いのか 物凄く複雑な気分ですが^^;
人のお役に立てていることは確かなので 感謝しています

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