欲しいものを得ることで栄光を帰する

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りゅうくんと ただの友達以上の
深い会話をするようになった頃

羨ましい と思うことが良くありました

例えば まだ社会経験がないということは
社会における間違えた経験がないということです

私は 人生において明らかに
失敗とかいうレベルではない
取り返しのつかない経験をしています

そういった痛手を負っていないうちに
私が若い頃から求め続けていた善悪の判断基準を
彼は手にすることが出来たのです

それは とてつもなく羨ましいことだと思いました

しかし実際は 例え判断基準を持っていたとしても
きちんとそれを選択できるかどうかは別問題なのです

りゅうくんを見ていて 知っていれば知っていたで
別の葛藤があるのだなぁと思います

しかし もし私が若い頃に判断基準を手にしていたら
間違えなくその範囲からはみ出ることはなかったでしょう

私は 自分の欲や思いなんてどうでも良いから
賢く生きたい という欲求が強かったからです

そのように生きることが出来たら
幸せな人生だったかもしれませんが

今 持っているだけの知恵知識や技術などの
人生の経験値は得られなかったと思います

葛藤を持って考えるからこそ
得るものというのはあるのです

また 羨ましいと思うことは
若さの他にもあります

例えば賜物や約束です

約束については私たちは夫婦なので
片方にある約束は相手のものでもありますが

賜物については持っているものが違い
私が彼の賜物を羨ましいと思うのと同じように
りゅうくんも私が持つ賜物が羨ましいと感じています

賜物に対する羨望については
神の国におけるルールがあります

相手の賜物が羨ましいと思ったら
相手を尊敬し その賜物が欲しいと願うことで
自分自身もその賜物を貰うことが出来るのです

もし りゅうくんと同じ賜物を
他の誰か 友達でも教会の人でも
他の人が持っているとしたら 恐らく
「すごいね」で終わっていたと思います

りゅうくんにとっても もし私が他人なら
あの人と自分は違う で終わっていたと思います

ですが 一緒に人生を歩む相手が
それを持っているということがポイントでした

追いつけない 置いていかれる

と 互いに思ってしまったのです

ですが勿論神様は そのことも折り込み済みで
私たちを夫婦とされました

「すごいね」などの他人事で終わらせずに
相手が持つ賜物を求めて欲しい

という神様の明確な意図を感じています

実際 結婚当初にいくつか
羨ましいと思っていたものについて
それと同じかそれ以上の預言的啓示を
私もりゅうくんも頂いています

神様は 求めて欲しいものを
求めるように仕向けられる方なのです

もし 神様を知らずに生きていたら
良くて無関心 悪ければ妬みや嫉妬という低い次元で
終わっていたかもしれない感情も

神様に委ねて期待する生き方をすることで
全てを得て生きることが出来るのです

これがもし ただの宗教なら
人を羨んではいけない とだけ教えて
欲しいと思う本心を捻じ曲げ
良い人の振りをするように
強制(矯正)されて終わりです

諦めることを強要された上に
自分の本心を捻じ曲げられるのです

それは偽善者を作ることに他なりません

そのような 心を拗らせることを
神様は全く望んでいません

全てが可能な神様に期待して
欲しい!と願って手に入れて
充実した人生を送って欲しい

むしろ

人に分け与えるほどに多くのものを得て
良いことのために使って欲しい

そして 被造物全てが神様の栄光で輝き
創られたことを喜び感謝し神を賛美すること

それが神様が望む世界なのです

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