人の弱さと向き合う

今日は りゅうくんにいくつかのことを
教える機会があったのですが

自分にとっては「聖書に書いてあるのに」と
思うことでも

きちんと教えないといけないことは
結構あるんだなぁ ということを痛感しました

本人曰く「違うなぁ間違えているなぁと思いつつも
そうだったらいいなと思っていた」ということですが

それは確信犯というのだよ?と
釘を刺しておきました

自分に都合が良いように解釈してしまえば
それは神様の御心に背を向けることになりますが
それが人の弱さであり

裁く必要はありません
ですが 神様の栄光は
人の弱さにこそ現れます

栄光が現れるべき場所を
敵の巣窟にしないように
教える必要はあるのです

例えばですが

地には主が天から追放した霊が存在しており
偶像崇拝や占い 風水などの背後に存在する

それらの霊に頼ることは神様の忌み嫌うことだと
聖書にははっきり書かれてあるわけですが

聖書の神を信じながら
占いで良い結果が出たー!
と喜んでいる人に対して

それは神様の祝福を壊す行為だよ?と
教えるにはどうすればいいのでしょう

敵に頼るのを止めれば
神様が祝福しようと準備されているのに

祝福を壊される行為をすることで
それを手に入れることが出来ずにいることを
どう教えてあげればいいのでしょうか

彼等は 人にある神の祝福を盗みます

盗むもの壊すものを自らの領域に
招くことをしている人を 更に
「裁く」必要はありません

既に自分がやっていることの報いは
受けているのですから
更に追い打ちをかける必要もありません

(もし裁きたい気持ちが起きるなら
あなたも背後の霊にやられています)

神様は 愛を持ってそれらのものを
避けるように教えてくださっているのです

避けたらご褒美をあげるよとも
仰ってくださっているのです

神様を信じて慕っているのに
どうして良くならないのだろう?

そう思っている人に対して

神様がやるなということは
やめといた方がいいよ

神様の仰ることに応答するなら
報いはきちんとあるよと教えたいのですが

どう教えればいいのでしょう?

このことは

お酒で体調や人生を壊している人に
お酒を止めるように言って良いものなのだろうか

と 悩むことに似ています

だって そんなことは多分わかっているのです

わかっているであろう人に
わざわざいう必要ってあるのかなぁ
本人が気付くしかないんじゃないかなぁ

と 思っていましたけど

今日 りゅうくんに話をしていて

言わないとダメなこともあるんだなぁ
と 思いました…

神様からは(デボーションにて)

言うべきことは聖霊が教えてくれるから大丈夫

と 励まされちゃいましたけどね^^;

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