イエスさまに心を開く

今日のお話は珍しく「神様」のことではなく
「イエスさま」のことです

旧約聖書を読んだことがある方は
聖書の神様が威厳に満ちた父性の神であることを
ご存知であると思います

それに対してイエスさまは
人々に遣えるために地にお生まれになりました

神様の威厳あるみ言葉は
400年もの長い間 奴隷として過ごしていた
ヘブル人には支配的で恐ろしく感じました

ですが実際は 神様は愛に溢れた寛大な方です

ただ 人としてお生まれになった経験はなく
十字架という重荷を背負われたのも
神様ご自身ではありません

神様の御心はとてもシンプルで実直です
そしてあくまでも創造主という立場から
被造物への惜しみない愛を注がれます

自分自身がこの地に生まれたことを
素直に喜べないような気持ちの人

要するに 自分自身で自分の心を
歪めてしまっているような人には
神様の御心は響きにくいところがあるのです

ですが 苦しい道を通られたイエスさまは
苦しみの中で自分自身を歪めてしまった人にも
寄り添うことが出来る方で

神の国の奥義を悟ることが許されていない人にも
例え話で神の国を表現することが出来る方です

そして 何より

私たちの罪を背負ってくださった張本人です
イエスさまが十字架で死んでくださったから
私たちは全ての罪から解放されました

その方が仰る「赦す」には
並々ならぬ重みと真実味があります

感覚で言うなら

神様「赦したと言っているのになんでわかってくれないの?」

イエスさま「あなたが赦されたことを理解するまで
私は何度でもあなたの身代わりとなり鞭打たれるよ」

なのです

イエスさまに心を向ける時

得も言われぬような感覚になります

その感覚をどう表現すればいいのかわかりませんが

癒しを受け取る という時
イエスさまに心を開くことを
意味するように強く感じています

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