御国に手を伸ばす

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死に至る問題を見て
この世に神はいないとつぶやく人がいる一方で

この世に見捨てられたが故に
自分を助けるものは神しかいないと考える人がいます

聖書にも そのような人が神を求めて
手を伸ばした人の様子が書かれています

今日の示しは ここ数日の「あなたはどうしたいの?」
という神様の問いかけの答えが 正にこのように
御国に手を伸ばして欲しいという神様の思いだった

というお話です

「長血の女」

マルコの福音書5章25-29節
ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。
この女は多くの医者からひどいめに会わされて、
自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、
何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。

彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、
うしろから、イエスの着物にさわった。
「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」
と考えていたからである。

すると、すぐに、血の源がかれて、
ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。

律法では 出血をした人が触れた床や人も
全てが汚れるとされていました

汚れが他の人に移らないように 人前では
自分は汚れていると宣言して歩くことまで
義務付けられていたそうです

当時の人々は 汚れを持つ人に対して
つばきを吐きかけ忌み嫌う風習まであったそうで
恐らく働くことも 家族や友人と交流することも
出来なかったのではないでしょうか

そんな状態が12年も続いていたのです

医者からもひどいめに会わされ
全財産を使い果たしてしまったと書かれています

正に「神も仏もない」という状態です

メシアの噂と彼女の信仰

しかしそこにイエスさまが現れました

とは言え 群衆に囲まれたイエスさまに
汚れを持った彼女がどうやって近づけるでしょう

ですが彼女は信仰を持ってイエスさまに近づき
後ろからそっと イエスさまの服に触れました

イエスさまの服に触れたら治ると
誰かに教えられたわけではありません

ですが そう信じて

「汚れていると宣言して歩かなければいけない」
という掟を破って近づいたのです

彼女は群衆の前でイエスさまに
助けを求めるわけにはいきませんでした

自分が長血を患っていることを
群衆の前で訴えながら近づけるわけがありません

自分が汚れていると知られれば すぐに人々から
排除されてしまうことが目に見えていたからです

故に彼女は 律法を犯してでも
服にでも触れればきっと治ると
固く信じて近づく必要があったのです

そして

その思いに答えてくださったのは
イエスさまではなく 神様でした

全ての人の心をご覧になる神様は
彼女の信仰に答えてくださったのです

神の栄光の証

勿論 触れられたイエスさまもすぐに
ご自身から力が出て行ったことを感じ取りました

マルコの福音書5章30-33
イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に
出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、
「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と言われた。

そこで弟子たちはイエスに言った。
「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、
それでも『だれがわたしにさわったのか。』とおっしゃるのですか。」

イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。
女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、
イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。

ルカの福音書では この箇所を次のように表現しています

女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、
御前にひれ伏し、すべての民の前で、
イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。

上述の通り 長血の人は当時は
汚れたものとして忌み嫌われていました

そんな人が 群衆の前に進み出て告白したのです

震えますよね ですが この勇気ある行為は
多くの人の前で神の栄光を現すという
大変素晴らしい証となりました

イエスは彼女のその勇気を称賛してこう言います

マルコの福音書5章34節
そこで、イエスは彼女にこう言われた。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。
病気にかからず、すこやかでいなさい。

最後の部分にある「すこやかでいなさい」の原文には
身も心も人間関係も経済も
全ての領域においてすこやかさであるように
という意味を持った単語が遣われているそうで

彼女が病を治そうと医者に全財産をつぎ込んでしまい
経済的にも破たんしていることをも癒されるように

また 12年もの間 人と交流を持てなかった
人間関係の面でも回復があるようにと
イエスさまは仰っているのです

彼女は 長血を癒してもらっただけではなく
失った全てを取り戻す恵みと祝福を掴みました

多くの群衆の前で証されたこの話は瞬く間に広がって
この後 多くの人がイエスさまの服に触れて癒されました

証の原語には 複製という意味が含まれているそうで
証を聴き それを信じて行動をした人にも同じことが起きたのです

律法学者の視点でこの出来事を見たら
彼女は律法を破った打たれるべきものであり
癒しも奇跡も恵みもあってはならないことです

ですが人々は 神を賛美しました

神が律法を超えて人を愛し
憐れみを持って救われる方だということを
人々は掴み そして神を賛美したのです

イエスさまが成し遂げられたこと

真面目な人ほど 神様が「律法を超えて」
愛してくださる方だということを
理解して受け入れることが難しくなります

ですが イエスさまにはそれが可能なのです

何故なら イエスさまは十字架により
全人類の罪を背負ってくださった

その贖いを成し遂げてくださったゆえに
神様は罪人をも救うことは可能であり

イエスの贖いを信じたものは
神の子どもとして頂く特権を得るのです

上述の マルコの福音書5章34節にある通り

長血の女に対し イエスさまは「娘よ」と
声をかけていらっしゃいます

信仰を持って律法を超えて
神様の奇跡を掴んだ彼女は もうその時
神様の子としての特権をも得ていたのです

神様の子という特権

自分のことに話を戻します

日記には書かなかったのですが

実は5日ほど前に神様から「暫くお父さんとか
神様ではなくパパって呼んでね」と示されました

実の父親のことすらパパなんて
呼んだことはありません

パパと呼ぼうと思っても 自分の中で
全くしっくりきませんでしたが

逆を言うと パパと呼べるほどには
親しみをもって神様に心を開けていない
ということに気付かされました

パパ と呼んでみても
パパ…パパ?ぱぱってなに?

と なってしまいました

家が一番安全ではなかったことは
私の人生を破壊しました

何より 男性は私にとって恐怖の対象でした

クリスチャンになって
神様の子とされた と言われても
親がどういうものがわからないと
いつも泣いていましたし

心を開いた瞬間に ふと
りゅうくんを怖いと思ってしまい
泣いてしまったこともあります

ですが神様は 私を癒されています

最近になり パパの娘というのは
養ってもらえるのは当たり前で
生活の心配をするのは子どもらしくない

ということがやっと腑に落ちてきました

聖句には そのことがはっきりと
書かれてあり 神様の恵みや養いを
実体験しているのに

早く親から自立しなくちゃ
み恵みから卒業して自分の力で生きなくちゃ

と 焦っていたのです

とは言え実際は 神様から示されたことを
忠実にこなしていれば
全てが回ることを体験しているので

焦りつつも 忠実にこなしていました

焦るというのが余計なのです
だって 全てが回っているのだから

私に必要なことは 安心することで
神様の愛に憩うことであり

神様の私に対する望みは
神様から自立することなどではありません

パパの娘で居続けることなのです

そして パパにたくさんのことをおねだりして
神様の凄さを証し賛美すること

神様がどれほどに愛と御力と栄光に富んだ方かを
世に知らしめ そのみ恵みに多くの人を招くこと

それが 神様の望みなのです

ヨハネの福音書15章7節
あなたがたがわたしにとどまり、
わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、
何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。
そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

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