神様の作品としての自分

今日の神様からの示しは
私自身が神様の作品だ ということでした

これは全ての人に言えることですが
神様は ひとりひとりを丁寧に
神様のイメージにより創られました

誰一人として 同じ人はいませんし
同じ道を歩む人もいません

同じ境遇にいても 同じようには
感じないし 経験をすることもありません

人は 神様の作品として 神様に似た者として
神様に命を与えられて人生をスタートします

ですが 人は神様の手から離れたところで
たくさん傷付き また歪みます

そうやって たくさんの傷と歪みを背負って
神様の御前に出ようとする人を 神様は
大いに憐れみを持って抱きしめてくださいます

そして もし神様に全てを明け渡すなら
神様のイメージ通りに 再び
造り替えて頂くことが出来る

もし 神様が私に何かを与えようとされるなら
それが私に相応しいかを決めるのは私ではありません

ですが 人には自由意志が与えられています
神様が仰ることを信じて受け取るかどうかは自分です

もし 私がなにかをしようとして
神様が あなたには相応しくないと仰っても
それをやるかどうかを決めるのは私です

でも私は 神様が持つ私のイメージから
外れる生き方はしたくありません

神様のイメージから外れた道に
一体何の希望があるでしょう

神様のイメージの中を
神様と一緒に歩くこと

それが 人に元々与えられていた本来の姿であり
私はそのイメージ通りに生きたいと思います

ですが こう言えるのは私自身が
世においてとても傷付いてきたからかもしれません

この世において 自分の幸せを
見出せなかったからかもしれません

もし 世において良い思いをして生きて来たなら
神様の御手に委ねることはもしかしたら
難しいことだったかもしれません

ですが 神様は私を神様の
イメージ通りに造られました

貧しい者は幸いです。
神の国はあなたがたのものですから。

ここで言う 貧しい者というのは
お金がない貧困の者という意味ではなく
神様なしでは自分は生きることが出来ないと
思う人のことを指しています

「この世」において 神様以外に希望がなかったこと
それが何よりの恵みであったと思います

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