頼りにするもの

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神様のみ恵みを受けるために
私はどうすれば良いですか?と
質問する人がいたら

自分が愛されていて
神様が全てを与えたいと思っていることを
ただ信じて受け取ってください

と言います

もしそれが受け取れないのであれば
理由については聖書に書かれています

先に書いたパフォーマンス志向の話
「人ではなく神を見る」の真意 参照)
でも触れましたが

神様のみ恵みを思う時 どうしても
神様のみ恵みを「自分の行いに対する報酬」
であるかのように考えてしまいがちです

ですが 聖書にはこのように書かれています

ヤコブの手紙4章2-5節
あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、
人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、
争ったり、戦ったりするのです。
あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。

願っても受けられないのは、自分の快楽のために
使おうとして、悪い動機で願うからです。

貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することで
あることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、
その人は自分を神の敵としているのです。

この聖句は 大変厳しい表現をしていますが
逆を返して言うなら

神の御国を愛して正しい動機で願う全てのものは
与えられるという約束があることを現しています

聖書で言っている「この世を愛する者」とは
どういったものかを見てみましょう

ガラテヤ人への手紙5章19-21節
肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。

前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたに
あらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが
神の国を相続することはありません。

そしてこの世には 病があり貧困があり
差別があり争いがあるのです

対して 御国の文化とはどういったものでしょうか

ガラテヤ人への手紙5章22-23節
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

そして御国には病がなく貧困がなく
差別も争いもありません

もし この世の中で負け組を踏みにじって
勝ち組になりたいと考えるなら
それはこの世を愛する者の考え方です

或いは 人は弱くこのような性質は
無くならないので共に生きるべきものだと
思うのであれば それもこの世を愛する者です

もし 自分の子どもが陰で盗みをしていたら
人は弱いから盗んじゃうのは仕方がないよね
と言う親がいるでしょうか

盗まないようになってほしいと思うのが
愛のある態度であると思います

悪事を容認する態度というのは
愛のない態度なのです

ですが 御国の文化に生きたいと願うのであれば
神様はいつでも そういう人と
共にありたいと願われています

人には無理でも 神様には出来ます

そのように生きることが出来るかどうかではないのです

そのように生きたいかどうか
そのような世界に生きたいかどうかなのです

人が自分の努力で聖く正しく生きようとするなら
それはただの宗教であり
神様の栄光を現す生き方ではありません

ただ 求めればいいのです

ただ 神の御国を恋い慕い
それを求めるものを神様は喜ばれます

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