光の時代

旧約聖書の時代 神様と関係を持てるのは
選ばれたほんの少数の人だけでした

祭司でさえも 年に1度民の代表として
神様の声を聴くことが出来ただけで

多くの人が 神様からの語り掛けを
切に願い求めていました

ですが今の世は違います
イエスさまが私たちの罪の身代わりになり死に
甦られたことを信じるのであれば

聖霊が貰えることを期待して洗礼を受けるだけで
誰であっても イエスさまを生き返らせたのと
同じ聖霊を受けることが出来るのです

その聖霊を受けて 何がスタートするのか

それは 王である神様と
王子・王女とされた自分との親子の関係です

神の国というのは 死後の世界などではなく
聖霊に建てあげられた人々によって
この地に現されるものです

例えば ビジネスや人間関係において
悪意むき出しにぶつかってくる人が

祈りにより人が変わったかのようになり
仲良くなることが出来た という証は
数多く存在します

この世のやり方で争うのではなく
祈りにより神様の勝利を掴むとき
背後にいた霊的な存在は逃げ去ります

それでも確執が残るとするなら
そこに必要なものは癒しです

自分自身に傷があるとき
傷がある人と向き合うことは出来ません

巻き込まれてしまうからです

しかし 神様ご自身は完全な方ですから
向き合うことをしなくても
祈りにより解決はもたらされます

その時の条件は「愛」です

もし 心の傷の故に赦せず愛することが出来ないなら
まず自分自身が癒される必要があります

聖霊により建てあげられた人が結ぶ実は
愛 喜び 平安 寛容 親切 善意 誠実 柔和 自制
であると聖書に書かれていますが

それらの心の上に 神様の御手は延ばされるのです

箴言にはこのようなみ言葉があります

箴言24編17~18節
あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。
彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない。
主がそれを見て、御心を痛め、
彼への怒りをやめられるといけないから。

また 新約聖書でイエスさまは
このように仰られています

マタイの福音書5章44~46節
しかし、わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、
正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。

自分を愛してくれる者を愛したからといって、
何の報いが受けられるでしょう。
取税人でも、同じことをしているではありませんか。

これらのことを 神様の恵みを受けるための
法則のように思っている人がいるのですが

律法主義的に型通りに受け止めようとすると
ねじ曲がった方向へ行ってしまいます

感覚的に言うと これらのことは

子どもが 友達に嫌なことをされるとします
するとお父さんが 赦してあげなさい?と
優しく諭します

子どもはしぶしぶ 赦すことを選ぶと
お父さんは よくやった 偉いねと言って
ご褒美を下さる

そんなニュアンスなのです

もし お父さんからのご褒美を貰うために
したたかに赦す素振りをみせるだけであるなら
神様はその思いに答えてくださいません

そのような態度しか出来ない人を
「孤児の霊を持つ人」と言い表しますが

そのような人に対して 神様はまず
ご自身との親子関係を築くことから
始められようとします

神様が求めているのは あくまでも
人と神様との愛の関係であり
自分の力で聖人であるかのように
振舞って欲しいわけではないのです

神様の豊かなみ恵みの故に
愛し赦せる人となって欲しいだけなのです

光の時代というのは

そんな恵み豊かな父なる神と共に
自分に与えられた範囲に影響力をもって
世界を御国の文化へと造り替えていく時代です

神の国が 地に侵入するのを見たくはありませんか?

私は 見たいです

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