忍耐の先にある希望

今日はアメリカ レディング州にある
天の御国の文化を教える教会として有名な
ベテルチャーチから

ヒーリングミニストリーディレクターの
クリスゴア牧師が来日し
教職者向けのメッセージをされました

アウトラインを聖会アーカイブに掲載していますので
ご興味ある方はご覧ください

私は まだ出来て間もない教会で
洗礼を受けたこともあり
(4年前の7月に出来たばかりの教会で
 10月に洗礼を受けました)

幸いなことに 今日のお話の中心にあった
「奇跡が起こらないことに聖書解釈を寄せた
間違えた神学」というものとは全く無縁で

愛のある奇跡が伴い 聖書のみ言葉通りに
語られたことは必ず為されるからこそ
聖書の神様は 信用するに値する真実の神である

というところには全く揺らぎはなかったのですが

今日のお話の最後に「忍耐」と「継続」という
キーワードが出てきました

癒しが起きるまで1000人以上の人に祈ったが
癒しは起こらなかった しかし諦めなかった

重度の障害を持つ娘がいて
他の人は癒されるのに彼女はまだ癒されていない
しかし私は全く諦めておらず
最近 有名な預言者から彼女の癒しの預言を貰った

という 牧師自身がまだ忍耐の中にあり
しかし決してあきらめることなく継続して
祈り続けていることを語られました

また 特に娘さんについては
無償の愛を彼女から学んだ
癒しについて 彼女との生活から学んだことは多い と

彼女の存在によりご自身が
練られた品性を身に着けたことを
証されていました

練られた品性というのは
聖書のこの聖句のことです

ローマ人への手紙5章1-4節
ですから、信仰によって義と認められた私たちは、
私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。

またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに
信仰によって導き入れられた私たちは、
神の栄光を望んで大いに喜んでいます。

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

実は最近 人から祈ってもらう時に
「これから起きることには忍耐が伴う」
ということを預言的に祈られていて

忍耐と言えばこの聖句 と思っていたので
どんな忍耐がやってくるのだろうと
少しの期待と緊張を持って意識していたのですが

メッセージが終わった後の賜物分与の時間には
忍耐が出来るようにという祈りがあったのですけど

大丈夫 覚悟は出来てるよー

という喜びに満ちた思いでそれを受けました

そして帰宅をしてからわかったのですが

その忍耐 はもう既に始まっていることで
神様は既に その忍耐の時を
私と共に苦しんでくださっていることだったと
気が付いたのです

詳細を書くと長くなるので割愛しますが

忍耐する覚悟は確かに
神様により建てあげられていたけど

そこにある希望を掴んでいなかったな
ということに気が付きました

これは 幼い頃の悪い癖で
人のために忍耐をするだけしておいて
こんな大変な思いをした結果なんて
私はいらないんで と捨てちゃうのです

このことは 神様の目から見たら
全く持って御心ではないことは
よーくわかっていたので

悔い改めなくちゃーーーーっ
という思いをずっと抱いていたのです

今日の賜物分与により
すんなり希望を受け取ることが出来たのです

最近 決めたから忍耐はするものの
どう折り合いをつけていいのか
わからない状態が続いていたのですが

苦しかった理由は 人の分まで
背負っちゃっていたからなんだなぁ
ということまで理解が出来ました

まあ 思うところは色々ありますが

この忍耐は 神様が私を練り上げるために
与えてくださったものだと思うと

本当に幸せだなぁ と思うのでした♡

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