神様との親しい会話のために

神様の声を聴きたい!と言っている人に
共通の思い違いがあるなぁと感じたので

神様の示しというのが
どういう感じなのかを書いてみたいと思います

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念のため注釈を書くと この話は
聖霊を受けており 尚且つ
霊的な見分けの訓練を受けている人に
向けて書いています

聖霊以外の霊も語りますので
(彼らの方が声は大きく騒がしいです)
見分けの訓練を受けていない人は まず
訓練についてしっかり教えている
教会の霊的カバーを受けてください

霊の見分けや神様の声を聴くことについては
他の記事も併せてご参考ください

羊は飼い主の声を聴き分ける
自分の奥まった部屋で祈るために
わからなかったら聞いてみる
啓示と預言

この記事で書こうと思っていることは
神様からの預言を受け取ることではなく
「神様と親しく会話をする」ことの方です

「電話」という例え

海外から神学校に来たメッセンジャーさんが
「私は神様に通じる電話番号を知っている」と
聖書箇所を教えてくださったことがあります

神様の声を聴く ということを考えた時に
ふとこの「電話」という例えを思い出しました

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神様の声を聴こうとするとき
黙想という表現を使います

たまに書いているQTというのは
Quiet Timeの略ですが
直訳すると「静かな時間」であり
心静かに神様が語りかけてくださるのを
待つ黙想の時間のことを言います

この際 必ず御言葉(聖書)を
1行でも読んでから黙想すると
神様からの語り掛けを受けやすく

りゅうくんも QTであれば出来るのです
ですが 聖書を離れたところで
日常的に会話をするのが苦手なようです

私の感覚で言うと

神様の声というのはとても軽やかで
自分の思いがあると あっという間に
かき消されてしまうような繊細なものです

なので「神様の声が聴きたい!!!」と
念じているような人には

神様が語りかけていたとしても
自分の思いでかき消しているように感じます

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事実 りゅうくんがたまに
神様が見えない 神様の声が聞こえないと
言っている人の横に神様がいて
触れたり寄り添ったりして下さる姿を
見ていることからもわかります

休んで と神様が語っているのに
休めない と泣いていれば
神様の呼びかけは聞こえませんし

あなたとお話をしたいよ と語られているのに
あの人を助けてください この人を助けてくださいと
お願いばかりをしていたら
神様との会話は始まりません

まずは自分の思いを全て鎮めて
神様が何を言おうとしているか
耳を澄まさなければなりません

すぐ横にいるのに 見えない 聞こえない
自分の思いが強すぎて 繊細な神様の臨在に
気が付かずにいるように感じます

神様とのチューニング

「電話」という例えに話を戻しますが

今日 りゅうくんに 神様の声を聴いてねー
ということを伝えている時にふと
「神様からの語り掛けはまるで電話のようだ」
という思いが与えられました

電話というのは こちらからかける場合は
相手がその電話を取れば会話が成り立ちます

神様はいつも私たちと一緒にいてくださいますが
霊的な層が違う場所におられる という感覚です

なので 神様にチューニングを合わせたり
こちらに合わせてくださいとお願いする必要があり

それが 黙想であったり祈りであったり
するのだと思います

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黙想が電話をかけること
神様にチューニングを合わせて耳を傾けること

祈りが電話をかけてくださいとお願いすること
こちらに合わせて現れてくださいと
お願いすることです

神様が目の前にいらっしゃっても
神様を見ないことも出来ます

私の場合 人が熱心に祈っている時などは
覗き見をするような気分になってしまうので
神様から呼びかけがない限りは
チューニングを合わせないように意識しています

この気遣い過ぎのせいで りゅうくんに
伝えなさすぎる問題が発生してるのですけど

本当に関わることが必要な時は神様から
「こっちに来なさい」と声がかかります
これは「神様から電話が来るケース」です

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電話というのは
こちらの都合に関係なく鳴るものです

忙しくしている時
何か作業をして集中している時

また 居ることはわかっていても
私には関係ないな と思って
スルーしかけた時に

「神様が」電話を鳴らすとしたら それは
至急の要件で 尚且つ重要な内容です

そして至急であればあるほど
ものすごく短く要件が伝えられます

こういう時に詳細な説明はありません
「これをしなさい!」それだけです

多くの人はこれを無視して
チャンスを逃すのではないかと思います

特に 理由がわからないと動けないタイプの人は
この呼びかけに答えるのが
大変苦手であるように感じます

「ふと心に浮かんだ」ことを
気のせいかな?とスルーしてしまうのです

ですが これこそが大事なのです

「ふと心に浮かんだもの」は
決して軽視してはいけません

自分にとってはどうでも良いことでも
神様にとっては大事な用事であることもあります

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例えば 休みなさい という指示です

本人は大丈夫 動けると思っていても
休んだ方がいいのに神様の示しを無視して
後で体調を崩したりするわけです

私は昔 完全なワーカーホリックだったので
この示しになかなか聴き従えずに
かなり痛い思いをしました

もう十分休んだよ これ以上何を休めというの!?
と 思うこともしばしばでしたが

それでも神様の御声に聴き従う時に
神様が与えたい恵みを受け取ることが出来るのです

それは 本当に一両日のことではなく
何度も何度も 本当に自分が神様に
全てを明け渡すことが出来るまで続きます

人が思うより高い神様のご計画

神様が為さろうとしているのは

地においても 天の御国の住人であるように
霊・肉・魂の全ての領域における完全な健康を持つ
「イエスさまに似た者」にすることです

神様がなさろうとしていることは
自分が悩んでいる症状(例えば肩こりや風邪)
が良くなったから健康になったので終わり
とかいう軽いものではありません

何故それをしようとされているのかと言えば
「神様の栄光をあなたを通して表すため」です

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そこまで良いものはいらないよ と
言うことも勿論出来ます

あなたを私の栄光を現す器として選んだ
という呼びかけに応じるかどうかは
選択の自由が与えられています

ですが もし神様の栄光を現す器として
用いられたい 神様の奇跡を見たいと思うなら

神様が為さりたい良いことの全てを
受け入れることがとても重要です

聖書に約束されているこれらのことを
ぜひ心に留めてみてください

ちなみに

自分が欲しい恵みだけ受け取って
神様が与えたい恵みは要らない と言う人に
神様は親しく語られることはありません

欲しい恵みだけ欲しい
神様が与えたいもの全部は要らない

という姿勢は自分が主になっている状態で
偶像崇拝のご利益主義がベースの神感で
神様はそれを大変忌み嫌われているからです

また 神様との親しい会話というのは
聖書に基づいた約束の上にありますが

神様の御心を知らずに聖書を読んでしまうと
意味を取り違えることがあります

特に 罪の問題を解決していない場合は
自分や他人を責める剣としてしまうので
神様の御心を求めて聖書を読むと良いと思います

この件については
神様の御心を聴き求めるもご一読ください

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