聖書の神様とイスラエルの人々との関係については
聖書を正しく読む霊的な助けが必要です
イスラエルの民が1900年もの長い間
国を追われた後も迫害され続けた理由として
イエスさまを殺した民は滅ぼせ という
偏った思想から来ているものが多くありました
十字軍やヒットラーによる迫害がそれです
背後にあるもの
ですが 昨日の記事に書いた通り
イエスさまは イスラエル人の教師である
パリサイ人が イエスさまを認めて
悔い改める時に再臨されると預言されています
イエスさまが再臨されると困るのは誰でしょう
それは この世を支配している者たちで
アダムとエバから祝福を盗んだ蛇(悪魔)です
イスラエル人というのは
神様の軍隊として選ばれた民です
神様の戒めに聴き従わずに神様の怒りを買い
1900年もの長い時間 流浪の民となったという
側面も確かにありますが
旧約聖書という霊的な恵みを守り伝え
蛇からこの地を取り戻すために
神様と悪魔との間に立つ国民でもあります
私たちクリスチャンは 悪魔の支配が終わり
神様の支配(千年王国)が来ることを
待ち望んでいますが
先日の礼拝で 神様は私に
あるビジョンを見せてくださいました
私たちが希望としているもの
礼拝で イスラエルの主という賛美をしている時
神様が 右手に乳白色の美しい球体を持ち
「これがあなた方が希望としているものです」と
仰られました
何があるのだろう?と
その球体の中を覗き込んでみると
そこには美しい海と夕日があるように見えました
ですがよくよく見てみると
そこは海ではなく砂漠でした
そこに 一人の人と乗り物となる動物の
影が映り込んできます
姿は見えませんでしたが それは
イエスさまであると直感しました
暫くすると イエスさまの影の他に
たくさんの歩兵たちの姿が映ってきました
少し疲れているようにも見えますが
彼らはイスラエルの兵士だとわかりました
そして これから起こる戦争のために
備えをしているのです
聖書には 再臨の前には必ず
戦争が起こることが預言されています
具体的に どこそこの民族が
イスラエルを攻める時に
神様にしか出来ない方法で
イスラエルが勝利する というように
状況が詳細に書かれています
その戦争の備えをするために
砂漠の中をイスラエルの兵士が
歩いている姿があり
気付くと私も彼らの後ろを歩いていました
神様が あなた方が希望としていることは
こういうことなんだよ と仰いました
神様の到来をただ喜んで待ち望む中で
彼らは戦争の備えをしている
戦争に向かっている
そう思ったら とても切ない気持ちになりました
すると数人の兵士が私の方を振り向き
大丈夫だよーと頭を撫でてくれました
神様という希望があるのだから
私たちは大丈夫だよ と感じました
私たちは同じものを希望としているよと
優しく慰めてくれました
与えられた役目をこなすということ
ひとりひとりに 神様は
役目を与えられました
神様は 私たちに何をやらせるか
何をやって欲しいのかをイメージして
必要な賜物や環境を与えてくださいました
イスラエルの人々は
神様の軍隊としての役割を担っています
それと同様に
私とりゅうくんは モノ作りという
役割を与えられている
神様から与えられたビジョンを
形にして人に伝えるという役割を
与えられています
戦争とモノ作りは全く違うし
直接的には関係がないことです
ですが 神様のために必要なものであり
神様という希望を持っている
神様の子という意味では兄弟姉妹です
全てを神様のために捧げる時
霊の目で見ると ひとつになっているのでしょう
人の思い 人の力で一致するのとは
全く違う次元で 途方もない広さであり
一生かかっても全てを知ることが
出来ないことであるようにも感じます
ですが 神様のために祈るのです
神様の選びの民が今日も
肉の命を喜び楽しむことが出来ますように
孤児の霊を持ってしまった
イシュマエルの子孫たちが
神様の子どもとなれますように
全ての神様が造られた異邦人が
あなたを知る機会を得られますように
失われた者たちが
神様の愛と御恵みに気付きますように
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