今日は感謝祭記念礼拝ということで
礼拝全体に「感謝」の雰囲気が満ちていました
勿論 神様に感謝することは
大小全てを集めれば星の数ほど
あると言っても過言ではなく
日々感謝を捧げているわけですが
賛美の最中に神様が語られたことは
私にとっては物凄く意外なことでした
そのままを愛するという真意
それは一言で表すなら
自分自身の存在に対する感謝 でした
神様がくださった賜物一つ一つを取り上げて
あなたはこんな賜物を持っている
こんな賜物まで与えられている
そして神のイメージの通りに
このように造られた
あなたはこんなにも素晴らしく造られた
そのことに感謝をして欲しい
という語り掛けを受けました
神様の気持ちを考えたら
このことはよくわかります
神様は 私たちをご自身のイメージ通りに造られ
神様の御手で守りながら大切に育ててくださっている
神様にしてみたら 私たちは
ひとりひとり素晴らしいご自身の作品で
ご自身の独り子を与えるほどに
愛してくださっている
こんなに素晴らしく造ったのだから
そのことにまず感謝をして欲しい
と 思われるのは 創造された方として
当然であるように思います
が 自分自身が素晴らしく造られたことに
感謝をして!なんて言われてしまったら
流石に赤面&余りあるお言葉ですーなんて
一瞬ドン引きしてしまいそうな思いがありました
が
神様の言葉というのは
癒しと解放をもたらす言葉なのです
神様の思いが自分の中に入ってきた時
「自分が素晴らしい」と思うことを
タブー視しようとしている理由に
思い違いがあることに気が付いたのです
恐れは敵の罠
示された賜物を持っていることは
今までに何度も人からも示されていたし
自分自身としても自覚をしていましたが
自分の中で これは神様のものなので
自分のものだと思ってはいけない
という妙な思い込みがありました
というのも それが自分のものだと思い
高慢になることが嫌…というか
高慢になることを恐れていたからです
ですが神様から示されて
自分が神様のイメージ通りに造られ
神様が与えたいと思ってくださった賜物を持ち
神様のために用いてもらっている
そのことに感謝をする という思いが
自分の中に流れ込んできた時に
与えてくださったのは神様だと
きちんとわかっているのに
何で自分だけで生きているような
高慢になることがあるのか
与えてくださった神様に感謝して
喜んでいる方が余程素晴らしいじゃないか
ということに目が開けたのです
要するに「高慢になるかもしれない」と
恐れていたこと自体が 敵の思惑だった
ということに気が付かされたのです
また このことに気付いたのと同時に
きちんと神様から 高慢にならないように
ストッパーを頂けていることにも気が付きました
嘘をついたり隠しごとをしない限り
これはどう考えても神様のなさったことだと
言い表すことが出来るように
きちんと全てのものを与えてくださるのです
恐れる必要は全くなかった ということです
聖書に書かれている通り
恐れというのは神様から出たものではない
ということですね…
テモテへの手紙第二1章7節
神が私たちに与えてくださったものは、
おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
警戒する ということは良さそうに見えて
案外 敵の嘘に既に引っかかっているだけ
ということなのかもしれません
神様はあなたにどう生きて欲しいのか
このことにより
神様からストップがかかることについて
物凄く重要な意味があることに気が付きました
それは 神様が造られた私のイメージから
外れたことはやって欲しくない ということです
今まで私は 目的のためには自分の思いを
曲げる必要も時にはある と思ってきました
実際 自分であまり納得いかない役回りでも
仕事だから仕方がないと思って
こなしてしまうことが多くありました
それは大変なストレスですし
他人の利益のために自分自身が
そこまでするいわれは全くないのです
本当はやりたくないのに我慢してやることに
何の価値もないのです
喜んで愛を持ってやることだけに価値があるのです
神様がお持ちの思いはただひとつ
ご自身が造られたイメージと違うことに
折角与えた賜物を用いないで欲しい
お金のためだからダメなのではなく
神様のイメージから外れているから
やってはいけない ということで
それはセルフイメージを歪めることであり
神様が造られたものを壊すことである
と いうことなんだなぁと思いました
神様の作品としての命
神様が育てたい私というのは
神様がイメージした通りの私であり
神様が愛してくださる私というのも
神様がイメージした通りの私なのです
神様の素晴らしさ 栄光を現そうとするなら
神様が造ったままの私でなければいけない
そうではない私がどんなに賜物を用いても
それは神様の御業とはなり得ない
神様の作品としての私でなければ
どんなに素晴らしい賜物を頂いていても
それを神様のために用いたとしても
全く神様の栄光が現れない
ということなんだろうなぁ と思います
まだ 気が付いたばかりのことなので
そうなんだろうなぁ という仮定止まりなのですが
神様のイメージ通りの私に
神様が何をして欲しいのか
もっと言うなら どういう水準で
どういうクオリティレベルで
どの辺に落としどころを付けて
やっていけばいいのか 等々でしょうか
詳細について 引き続き神様に
祈り求めていきたいと思います
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