自分の十字架を背負うために

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昨日の記事(愛は高いところから低いところへ)をはじめ
いくつかの記事で同じテーマについて
何度か繰り返し書いているのですが

「責任感」というのは良いように見えて
不必要なものに固執する結果になることもあります

単純な話
責任感(自分の肉の思い)<神様の指示
としていれば間違えは犯さないわけですが

神様と共に歩む人生に入ったとき
責任感の故に判断を誤ることもあるわけです

勿論 責任感が強いというパーソナリティ自体は
決して悪いことではないはずです


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神様のみ恵みを受け取るために

と言いつつ

私は 自分の思い込みを外すために
責任を手放して神様に責任を委ねます!
という宣言をかなりたくさんしました

また 神様から責任を手放すようにと
促されたこともたくさんありました

神様は 私の問題に介入したいと
思ってくださっているのに

自分の責任!と固く握りしめていると
神様が介入することが出来ないのです

神様はみ恵みを与えたい
自分はみ恵みを受け取りたい

お互い相思相愛であるはずなのに
それがうまく流れないという時に

自分の思いを手放す必要が出てきます

両手いっぱいに何か余計なものを
掴んでいては み恵みを掴めない

そういう時はあるのです

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簡単に手放せるものとそうでないもの

これは私の場合になりますが

特に 自分の失敗により作ってしまった負債
人間関係の負債 経済的な負債
体調不良にある負債については
手放すのに結構時間がかかりました

逆に 霊的負債 代々続く呪いや偶像崇拝などは
自分には関係がないことでもあるので
私の場合は 手放すのは簡単でした

勿論 逆の人もいると思います

自分がやっていないのに何故自分を低くして
神様への介入をお願いしないといけないのか
意味が分からない という態度の人も知っています

私の場合はそれが

私が失敗して作った負債なのに
何で無関係で聖いイエスさまが
背負って苦しまれなければいけないのか
意味が分からない と思っていたわけです

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クリスチャンは「イエスさまの花嫁」

ですが 聖書を読む限りイエスさまが
自分と無関係であるわけはないのです

神様は 私を養子として下さり
イエスさまは私を花嫁とされようとしている

あなたの負債を背負って綺麗にすることで
私(イエスさま)や父なる神は
あなたを手に入れることが出来るのだよ

と 神様は仰られているわけです

罪の負債がなくならなければ
天の御国に入ることは出来ないから
養子とするには罪を清算しなければいけない

しかし人に罪を清算することは出来ない

そこで罪を一度も犯したことがない
イエスさまが登場するわけです

イエスさまは 自分が犠牲になることで
この子が神様の元に帰れるのなら と
喜んでご自身を捧げてくださったのです

そして神様は その私たちを
イエスさまの花嫁とすることを
約束されているのです

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イエスさまは 未来の花嫁のために
自分を犠牲にしてくださった

故に 私たちはイエスさまのものとして
天の御国に入る資格があるものであり続けたい

聖くありたいと徐々に願うようになるのです

大いなるご計画は神様のためのもの

しかし 聖くありたい と思うようになるのは
私たちの肉の思いの話であり

神様は もっと違う思いを
私たちに与えたいと思っておられます

それは この地には
神様の選びの子がたくさんいるのに
彼らがまだ神様のことを知らないので

その人たちに 神様の思いと
イエスさまの贖いを伝えたい

という思いです

この素晴らしい知らせは
人を 言葉を介してしか伝わることがない

なので 神の子どもとなり
たくさんの恵みを受け取って
神様ってこんなに素晴らしい方!

ということを 周囲に伝えてほしいのです

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永遠の命の視点で言うなら

神様の素晴らしさを経験して
神を礼拝し 賛美するために
私たちは命を与えられている

それを ただ神を賛美するためだけにではなく
周囲の人にも伝えてほしいというのが
神様の思いであるのです

それは人数の問題ではありません

ただ 神様があなたを通して
伝えようと定めている人に
伝えてほしいと思われているのです

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神様の思いを伝える器として

いずれにせよ

神様の素晴らしさを経験しなければ
天の御国の素晴らしさを
伝えることは出来ません

ですから

責任感であるとか 肉の思いを超えて
神様に従順であってほしいと
神様は願っておられる

何故なら

神様の声に忠実に従う時
神様の栄光があなたを通して
地に流れ出ることになるからです

自分の思いではなく 神様の思いを選び
自分の範囲で小さくまとまるのではなく
神様に新しい道を切り開いていただく

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私たちは ただついていくだけですが
ついていく先は 見知らぬ栄光の土地で

もしかしたら強い敵が見えるかもしれない
自分には大きすぎる恵みだと思うかもしれない

それでも 神様は先に行き
全ての敵を打ってくれています

大きすぎると思うみ恵みも
管理する力や助け人を与えてくださいます

神様の大いなる素晴らしさを経験するためには
神様による聖めと意識の変革が
求められることがありますし

患難も伴うかもしれない

それでも決して倒れることはないという
聖書のみ言葉を信じ 従順に従う

その歩みは あなたの十字架を背負う歩みとなります

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より大きなものを管理したいと思ったら
自分一人では足りず人脈が必要になりますし

より大きな愛が欲しいと思ったら
愛をブロックしている心の壁を取り去る必要がある

より多くのものを与えたいと思ったら
より多くの恵みを受け取るためのチャレンジがあるし

より大きく愛を流したいと思ったら
愛を流すべき人に会いに行くために
安全な場所から出なければいけない

チャレンジは あります
ですがそれは信仰のチャレンジです

マザーテレサも 修道院の外で人を助ける
活動をしようという思いが与えられて
許可が出た時 手元には5ルピー(200 円)しか
手元にありませんでした

自分には到底無理のように思うかもしれないけど
神様にはすべてが可能なのです

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イザヤ書55章8-13節
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。――

天が地よりも高いように、わたしの道は、
あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、
それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、
食べる者にはパンを与える。

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、
むなしく、わたしのところに帰っては来ない。
必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、
野の木々もみな、手を打ち鳴らす。

いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。
これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」

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