自分の十字架を背負うために

昨日の記事(愛は高いところから低いところへ)をはじめ
いくつかの記事で同じテーマについて
何度か繰り返し書いているのですが

「責任感」というのは良いように見えて
不必要なものに固執する結果になることもあります

単純な話
責任感(自分の肉の思い)<神様の指示
としていれば間違えは犯さないわけですが

神様と共に歩む人生に入ったとき
責任感の故に判断を誤ることもあるわけです

勿論 責任感が強いというパーソナリティ自体は
決して悪いことではないはずです

high-grass-1504284_960_720

神様のみ恵みを受け取るために

と言いつつ

私は 自分の思い込みを外すために
責任を手放して神様に責任を委ねます!
という宣言をかなりたくさんしました

また 神様から責任を手放すようにと
促されたこともたくさんありました

神様は 私の問題に介入したいと
思ってくださっているのに

自分の責任!と固く握りしめていると
神様が介入することが出来ないのです

神様はみ恵みを与えたい
自分はみ恵みを受け取りたい

お互い相思相愛であるはずなのに
それがうまく流れないという時に

自分の思いを手放す必要が出てきます

両手いっぱいに何か余計なものを
掴んでいては み恵みを掴めない

そういう時はあるのです

girls-1563093_960_720

簡単に手放せるものとそうでないもの

これは私の場合になりますが

特に 自分の失敗により作ってしまった負債
人間関係の負債 経済的な負債
体調不良にある負債については
手放すのに結構時間がかかりました

逆に 霊的負債 代々続く呪いや偶像崇拝などは
自分には関係がないことでもあるので
私の場合は 手放すのは簡単でした

勿論 逆の人もいると思います

自分がやっていないのに何故自分を低くして
神様への介入をお願いしないといけないのか
意味が分からない という態度の人も知っています

私の場合はそれが

私が失敗して作った負債なのに
何で無関係で聖いイエスさまが
背負って苦しまれなければいけないのか
意味が分からない と思っていたわけです

cross-1177327_960_720

クリスチャンは「イエスさまの花嫁」

ですが 聖書を読む限りイエスさまが
自分と無関係であるわけはないのです

神様は 私を養子として下さり
イエスさまは私を花嫁とされようとしている

あなたの負債を背負って綺麗にすることで
私(イエスさま)や父なる神は
あなたを手に入れることが出来るのだよ

と 神様は仰られているわけです

罪の負債がなくならなければ
天の御国に入ることは出来ないから
養子とするには罪を清算しなければいけない

しかし人に罪を清算することは出来ない

そこで罪を一度も犯したことがない
イエスさまが登場するわけです

イエスさまは 自分が犠牲になることで
この子が神様の元に帰れるのなら と
喜んでご自身を捧げてくださったのです

そして神様は その私たちを
イエスさまの花嫁とすることを
約束されているのです

marriage-1698593_960_720

イエスさまは 未来の花嫁のために
自分を犠牲にしてくださった

故に 私たちはイエスさまのものとして
天の御国に入る資格があるものであり続けたい

聖くありたいと徐々に願うようになるのです

大いなるご計画は神様のためのもの

しかし 聖くありたい と思うようになるのは
私たちの肉の思いの話であり

神様は もっと違う思いを
私たちに与えたいと思っておられます

それは この地には
神様の選びの子がたくさんいるのに
彼らがまだ神様のことを知らないので

その人たちに 神様の思いと
イエスさまの贖いを伝えたい

という思いです

この素晴らしい知らせは
人を 言葉を介してしか伝わることがない

なので 神の子どもとなり
たくさんの恵みを受け取って
神様ってこんなに素晴らしい方!

ということを 周囲に伝えてほしいのです

sky-1494656_960_720

永遠の命の視点で言うなら

神様の素晴らしさを経験して
神を礼拝し 賛美するために
私たちは命を与えられている

それを ただ神を賛美するためだけにではなく
周囲の人にも伝えてほしいというのが
神様の思いであるのです

それは人数の問題ではありません

ただ 神様があなたを通して
伝えようと定めている人に
伝えてほしいと思われているのです

lambs-1494032_960_720

神様の思いを伝える器として

いずれにせよ

神様の素晴らしさを経験しなければ
天の御国の素晴らしさを
伝えることは出来ません

ですから

責任感であるとか 肉の思いを超えて
神様に従順であってほしいと
神様は願っておられる

何故なら

神様の声に忠実に従う時
神様の栄光があなたを通して
地に流れ出ることになるからです

自分の思いではなく 神様の思いを選び
自分の範囲で小さくまとまるのではなく
神様に新しい道を切り開いていただく

high-ball-553164_960_720

私たちは ただついていくだけですが
ついていく先は 見知らぬ栄光の土地で

もしかしたら強い敵が見えるかもしれない
自分には大きすぎる恵みだと思うかもしれない

それでも 神様は先に行き
全ての敵を打ってくれています

大きすぎると思うみ恵みも
管理する力や助け人を与えてくださいます

神様の大いなる素晴らしさを経験するためには
神様による聖めと意識の変革が
求められることがありますし

患難も伴うかもしれない

それでも決して倒れることはないという
聖書のみ言葉を信じ 従順に従う

その歩みは あなたの十字架を背負う歩みとなります

jesus-1015577_960_720

より大きなものを管理したいと思ったら
自分一人では足りず人脈が必要になりますし

より大きな愛が欲しいと思ったら
愛をブロックしている心の壁を取り去る必要がある

より多くのものを与えたいと思ったら
より多くの恵みを受け取るためのチャレンジがあるし

より大きく愛を流したいと思ったら
愛を流すべき人に会いに行くために
安全な場所から出なければいけない

チャレンジは あります
ですがそれは信仰のチャレンジです

マザーテレサも 修道院の外で人を助ける
活動をしようという思いが与えられて
許可が出た時 手元には5ルピー(200 円)しか
手元にありませんでした

自分には到底無理のように思うかもしれないけど
神様にはすべてが可能なのです

coin-1379517_960_720

イザヤ書55章8-13節
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。――

天が地よりも高いように、わたしの道は、
あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、
それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、
食べる者にはパンを与える。

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、
むなしく、わたしのところに帰っては来ない。
必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、
野の木々もみな、手を打ち鳴らす。

いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。
これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人