師にある義務

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今 神様は私にある一つのことを
深く理解させたいと思っているに違いない

と 毎日のように思います

今朝 りゅうくんと色々と
話をしながら 唐突に

昨日の夜 愛に燃やされて生きる
読んでいて気が付いたことと

昨日の朝 りゅうくんに対して
伝えたことは 本質的には同じ

と いうことに気が付いたのです

この件について話すためには

りゅうくんに何を伝えたのかを
書かなければなりません…

本当は あまり書きたくないのですけど

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りゅうくんと一緒に
企画やライティングの
作業をしている時のこと

りゅうくんが出すアイデアや文章は
まだまだ経験が浅いため どうしても
独りよがりになってしまいます

そのため 考え方を教えたり
アイデアの例を出してあげたり
サンプル文章を作ってあげたり

色々やってはいるのですが

りゅうくんにしてみると

自分が出したアイデアが
ほぼ全てダメ出しされて

より良い案をものの数秒で
複数提示されてしまい
しかも 自分が考えたところで
この品質に届く自信がない

加えて 私はりゅうくんにとって
愛すべき 守るべき奥さん

それなのに不甲斐ない~

と どん底まで行ってしまうらしく
前にも後ろにも進めない状態に
なってしまうようなのです

どっちにも行けなくなった結果
「すみがやって」になることもありw

りゅうくんの勉強でやってるのに
私がやっちゃったら意味ないだろー

と 怒るを通り越して
呆れていたわけです

この傾向は 結婚する前

それこそネトゲで一緒に
遊んでいた頃からずーっとありました

告白前は私の方が上手く出来たり
彼がミスしても全く気にしなかったのに

告白されてからは ダメなのですよ
「男としてのプライド」が
前面に出ちゃうみたいなのね

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難儀やなぁ と思いつつ

当時は時間もあったし
遊びの中での出来事でしたから

浮上してくるまで それこそ
聖書とか読みながら
待ってあげていたのですが

しかし 仕事のこととなると
そうも言っていられません

折角スケジュールを組んだのに
一々ストップされていては困ります

それで 昨日読んだ聖書箇所が
丁度この箇所だったのです

コリント人への手紙第二11章21節
言うのも恥ずかしいことですが、言わなければなりません。私たちは弱かったのです。しかし、人があえて誇ろうとすることなら、――私は愚かになって言いますが、――私もあえて誇りましょう。

この後 自分自身がヘブル人であるとか
キリストのためにどれ程の患難に
遭ってきたかであるとか

負担をかけなかったのに
むさぼり取ったと言われている
これは自己弁護だろうか

と いうことを言い並べた後に

コリント人への手紙第二13章2節
私は二度目の滞在のときに前もって言っておいたのですが、こうして離れている今も、前から罪を犯している人たちとほかのすべての人たちに、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦はしません。

という 師としての態度を
明確に現しているのです

そして このことは イエスさまが
弟子たちの足を洗いながら
私が師である と仰ったことと
本質が同じであると示されたのです

ヨハネの福音書13章12節
イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。
あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。
それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。
あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。

ただ足を洗うだけでは
教えにならないのです

教えなければ 勘違いするものがいたり
悟れないものがいます

勿論 教えても悟れないものはいます

しかし 教えなかったのであれば
教えなかった師に責任があり

教えた後に悟らなかった件は
悟らなかったものの責任になります

そのことは 神様が預言者たちに
不義を働き続ける(偶像崇拝をやめない)
イスラエル人に対して

彼らが悟らなかったとしても伝えなさい
伝えなかったらそれはあなたの咎となる

と繰り返し言っているところからも

イエスさまが当時のイスラエル人に対し
私が来て何が罪であるかを
明らかにしたために彼らは罪人になった

と 証しています

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知らなければ 罪に定められず
教えなかったものが悪いのです

しかし教えても悔い改めなければ
悔い改めなかったものが悪いのです

パウロはコリント人たちに対して
恩着せがましくすることなく
ただ遣える姿勢を見せていた

当時 男性が遣える態度でいるのは
弱いものだと思われる時代だった

それもあったのかもしれませんが
悪意ある人たちがパウロを不当に
悪く言い そのことで混乱が生じた

故に パウロは私は弱さを誇ると言い
確かに自分が神の権威を持って
遣わされた者だと証明した

この証明で目が開いたものは

(神の権威を持つあなたがたの師として)
悔い改めないものは容赦しない

というパウロの言葉に
力があることが理解できる

ということがすとんと腑に落ちた

要するに

自分はあなたの師である
ということをきちんと伝えないと
ただへりくだって遣えるだけでは
勘違いするんだ

と いうことに気が付いたわけです

それで 私は凹んでいるりゅうくんに

私は企画制作の仕事を20年やっていて

尚且つ 特に品質管理にうるさい
大手企業さんに信頼される仕事をしてきた

りゅうくんは未経験者なのだから
私と比較をしても仕方がないだろう

それとも あなたは未経験者なのに
20年のベテラン先輩と同じ品質で
仕事が出来る程の人間だと思っているのか

実績もあるベテランの先輩が近くにいて
考え方や方法を丁寧にアドバイスされているのに
どうして凹むばかりで吸収しようとしないのか

私なら喜んで吸収する

未経験の癖に出来ないからって凹むのは
この仕事を舐めているからだ

私に出来るのは20年の蓄積があるからだ
謙遜になりなさい

ということを伝えたら
みるみる笑顔になった

企画制作ライティングにおいて
私のことを先輩だと認識した途端に
受け取り方ががらりと変わったのだ

それまでは 出来ない すみやって
という態度だったものが

自分が全部やるから
確認とダメ出しだけお願い

に 態度が変わり
作業スピードもupした

私から学び取ろう
学ばせてもらおうという
気持ちにスイッチが入ったのだ

勿論 このことを聞いても
悟らない人だっているだろう

しかし 悟っても悟らなくても
教えなければ師が悪いのだ

それに 悟らない人に気遣って
言うべきことを言わなければ
悟るべき人が悟る機会を失う

時はあるにしろ
言わなければいけない時というのは
あるのだなぁと思いました

で このことは
私の仕事に対するスタンスに
ものすごーい重要なことだと感じています

日々 育てて頂けることを
本当に感謝します

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