心を守る

心が口に出る

について 自分の中で なんか変な
思い違いがあることに気付きました

言葉では良いことばかり言うのに
行動 態度に下心が見え見えで

自分の思い通りにならないとわかると
あー あなたの本心ってそれだったのねー

と 思うような暴言を吐く人が

ものすごーい身近にいたのです
しかも 社会的地位が高い人が多かった

で 幼い頃 良いことばかり言う人って
ものすごーい信用出来ないな という
変な思い込みを持ってしまった

しかし 社会に出れば
そんな人ばかりではない ということも
自然にわかってくる

(本当に良い人ってのはいる
…天然とも言えるけどっ)

また 同じことを言うにしても
言葉の選び方というのがある
ということもわかってくる

どういうことかと言うと

丁寧な言葉で 適切な表現で
暴言ではなく 苦言を言える人も
きちんといるわけです

悪意もなければ
コントロールしてやろうみたいな
お節介な意図もなく

ただ それって違うよね

そういう行動をすれば
こういう結果になるよ

ということをきちんと言える

感情的にならずに言える
ということでしょうか

そこには 愛がある

というより 愛がなかったら
そういう風には言えない

言う内容が問題なのではない
ということ

結局 心が出る ということなんだな

そんなことに気付く日になりました

逆も然り

どんなに言葉を取り繕っても
心は出ちゃうものなんですね

ヤコブの手紙3章2-11節
私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。

馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。

どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。

私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。

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