聖霊さまの流れと地雷

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昨日の補足ですが

一昨日の 願ったことがない祈り

それは 祈った直後に即座に
ある方向へ私を行動させました

変な表現ですが

祈ったことを即座に
実行に移していたわけです

余計なことを考えるまでもなく
これは聖霊さまの促しだな と
わかりました が

しかし自分が切望しつつも
関わりあいたくない世界

自分的に 気持ちの整理が
ついていないことでもあったので

正直 本当にこっちでいいのか?

と 思ったら りゅうくんが思い切り
地雷を踏んでくれたこともあり

紆余曲折ありつつも こっちで良いと
明確にみこころを知ることが出来たのでした

そこに 昨日の神学校の内容…

毅然とした愛

赦すということは
罪を犯している人の罪を見逃すことではない

目の前で 罪を犯している人がいたとき
或いは自分が被害者になってしまったとき

どのような態度であるべきか という話

裁かずに 被害者にならずに
クリスチャンとしてどういう態度で
あるべきか というお話だったのですが

りゅうくんが踏んだ地雷 というのが
正にそれだった

神様が 目の前にいる人の罪を
教えてくれたのだけど
どうすればいいかわからなかった と

罪の指摘はしちゃダメよ?と言ったら
やっぱりそうだよね と言っていたけど
本人は指摘したかったところが問題w

では どうするか?どうすればよかったか?

それは りゅうくんと神様の関係の
今後の課題で その答えが昨日の
神学校の内容そのものだったと思うし

そして私が行こうとしているところも
そういう世界であるわけです

無自覚に 神様が喜ばれないことを
よしとしてしまっている人たち

そして 苦しんでいる人たちです

結論から言えば

イエスさまは 罪人を救いにこられたのであり
裁くために来たのではありません

神の国を彼らに伝えに行くことこそ
神様のみこころです

しかし私たちと共に歩く人は
罪人であってはならない

神様がどれ程にあなたを愛しているのか

それを伝えることと
罪人の罪を黙認して
共犯者になることは違う

その線引きはとても大事です

裁きは 神様のものだけど
兄弟が死に至らない罪を犯していたら
きちんとそれを指摘するように
聖書にも書かれてます

だから 個人プレーにならないように

なんですよね

…話を戻しますが

そんなこんなで今

私が切望しつつも
関わりあいたくない世界に向けて

聖霊さまは 私を用いて
何かをされようとしていることを
感じます

それは 私の心の傷の回復のためでもあるし

私が牧するひつじさんを
探しに行くためでもあるのです

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