人には自由意志がある

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今日の 神様の示しは

神様は 私たちの自由意思を尊重されていて

私たちが 神様とどのような関係に
なりたいのか その心をご覧になり
賜物や召しをくださっている

と いうニュアンスでした

それは完成形ではなく
過程であるような気もしますが

ともあれ

神様に期待して委ねることが出来るのは
それを望んだゆえであり

それを望む私のことを神様は
可愛いと思ってくださっている

でも 可愛くしてくださったのは
神様なんだよねー ということ

そして 逆も然り

神様にとって可愛くない人は
自ら望んで可愛いげを捨てている

QT箇所が 奇跡を見ても悔い改めない街を
イエスさまがののしられてから

神様を求める弱いものだけが
神様に召されることはみこころだと
仰られたところでした

自分は強い と思っている人や
◯◯(ヒトモノカネ結婚等々)さえあれば
私の問題は解決する
と思っている人は

神様が与えようとする恵みが
自分の望むものでなかった時に
神様を悪く言い出したりします

神様は絶対的に良い方で
神様がなさることは
自分の考えより遥かに良く

神様がなさることを
人が理解出来るわけはないけど
絶対に益となることしかない と

どんな素晴らしい結果が来るのか
わからなかったとしても
期待して神様を褒め称えること

それを「信仰」と言うわけですけど

何故 神様に期待をするのかと言えば

人は 間違える
勿論自分も間違える

でも神様は間違えない

と いうより

この世の全てを創造し
所有している方の方針が
全てを決定するわけだから
間違えるもなにもない

ただその一点だけ だと思うわけですが

自分は強い と思っている人や
◯◯さえあれば私の問題は解決する
と思っているがゆえに

自分の思い通りにしてくれない神様を
悪く言う人というのは

自分は神様より優れている と
言っているわけで

それは 聖書の表現を用いるなら
陶器が 陶器師に向かって
指図をするようなものであるわけです

それでも 神様は忍耐強く寛大な方で

イエスさまと父なる神に対しては
悪く言っても 悔い改めれば許される

と 仰ってくださるわけですが

それは 神様が自らの手で
地の塵に過ぎない私たちに
命を吹き入れられ

我が子のように育てられることを
ご計画されたから なんですよね

神様は 人の支配者になりたいのではない

その証拠に 全て良いことだけを
させてくださいと祈ったとしても
良いことだけを機械的に
させてくださるわけじゃない

その故に アダムとエバは
罪を犯すことになったわけですけど

良いことだけを出来るように
してください と祈れば

何が良いことで 何が悪いことかを
自分で判断出来るように
教えてくださる けど

祈る内容 心についても
判断して行動することについても

自由 を与えてくださっていて

その自由をどう使うかは
正に その人の自由 なのです

と言っても

神様には神様のご計画がありますから

そのご計画をお持ちの神様と
どういう関係になりたいか

という話になってきます

そんなことを考える自由も
神様はくださってるのですよねー

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