希望だけを見つめる

家を出る前 先日の礼拝の時のような
ビジョンを見せてもらったけど
意味がわからなかった時のような

???という変な感覚があり

ああ 今日は何か特別なことが
あるんだなぁ と思ってはいたのですが

ほんとにすごい特別なことがありました

それは

神様が 私たちに与えられた召しを
完遂させるための準備を
整えられているのだろうなぁ

と 思うような出来事でした

以前 私が知らないことについて
思いを与えられて祈っていたことが

ひとつずつ 形になってきている

あの時 祈ったのは
このためだったのかぁ

と 思うことが起きている

当時は 祈りなさーいと示されたら
祈れば神様がなさってくれるから
私と関係がなくても
全く意に介さなかったし

祈った結果にも興味はなく
(神様に示されたことをやった!
ってだけで満足だからね)

こんな身近な出来事になるなんて
夢にも思わなかった

…でも

何故 神様がそれを私に示されたのかは
最後の最後でよーくわかったので

私(とりゅうくん)は
問題に対して向き合うのではなく

神様がなさりたいことを
地に降ろすことに集中しよう

と 思いました

問題に目を向けなくても
神様を見ていればそれは解決する

それは マザーテレサが言っていた
「反戦の集会には出ないが
平和な世界について語り合う場には
参加する」ということだと思う

何故なら

反戦 は 戦争がないと出来ないのだ
戦争があるから反戦もあるのだ

戦争がない世界について
語り合うことだけが
戦争を無くす希望になるのです

神様が造りたい世界について
私たちはいっぱい語り合う

神様と同じ夢を見るために

アーメン

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