栄光の器

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神様がくださる恵みに対して 聖書では
「驚き怪しむ」という表現があるほどに

神様が下さる恵みは
人の気持ちや想像を
はるかに超えたものであることがあります

主の栄光を現す器となる

と 決断して
自分の思いや必要を
一切横に置くとき

必要は全て与えられます

例えば 衣食住 経済の必要
人間関係やトラブルの解決
ストレスや病からの解放

或いは夢 希望 目標

それらについて 熱心に祈ることも
多分間違えてはいない

だけど それらを満たされてどうするか?

と いう部分を神様はご覧になる

熱心に求めて それを得たときに
多くの人に証して歩くタイプの人は
熱心に求めると得られます

こういうタイプの人は
証をしたいから奇跡が見たい
という情熱に燃えて
熱心に祈ります

そういう賜物があるように感じます

ですが

熱心に求めるものは手に入らないのに
全く自分が望んでいないような
素晴らしいものがやって来て

自分では満たされた思いがしないのに
周囲から 神の栄光の器として
褒められてしまい困惑している人

というのがいます

ですが 覚えておいてほしいのが

神様は 真の意味で
良いものしかくださらない

ということ

思いの満たしが 果たして
その人を幸せにするかどうかは
本人には実はわからない

経験をして痛い目を見れば
わかる ということもありますが

しかし 取り返しのつかないこともある

それをご存知である良い方は
決して 取り返しのつかないような
悪いものは与えられないのです

旧約聖書では このことを
実際の人物と出来事を通して
教えてくれています

創世記25章~に
エサウという人が登場します

アブラハムの子がイサク
イサクの長男がエサウです

エサウには双子の弟ヤコブがいますが
ヤコブは エサウのかかとを掴んで
産まれてきました

ヤコブという名前には
かかとを掴むもの=出し抜くもの
という意味があり その意味の通り
ヤコブはエサウから長子の権利を
奪ってしまいます

人間的な目線で言ったら
奪うものの方が俗悪なように感じますが

しかし聖書では
エサウのことが俗悪な者と
表現されています

ある日 エサウはお腹を空かして
狩りから家に帰りました

するとヤコブが料理をしていた

エサウがそれを食べさせてくれと言うと
ヤコブは では長子の権利をくださいと言う

その時にエサウは

長子の権利なんて腹の足しにならない
くれてやる と簡単に取引に応じました

長子の権利は神様からの約束です

それを たった1食の食事と引き換えに
簡単に手放してしまった

だからエサウは「俗悪な者」なのです

エサウは 取り返しのつかないことを
してしまいました

もし 死んでしまいそうな程に
お腹が空いていたとしても

神様からの恵みの約束を
手放してはいけなかったのです

今 何かに飢え乾いていて
それが満たされたら幸せになれると
信じて求めているのに得られない

そんな時は

私を俗悪な者としないでください

と 祈ってみてください

神様の恵みと祝福の約束を
受け取ります と宣言してみてください

必要は 満たされます
飢え乾きも 必ず満たされます

神様の召しを第一にするとき
全ての必要は満たされます

自分に必要なものはこれなんだ と
勝手に決めつけてしまい
自分にある祝福を手放すことを
決してしないでください

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