私たちの中に住んで下さる神

聖書には 良い実を結ぶためのノウハウが
たくさん書いてあります

それは確かです

でも それを人間的な理解と努力で
実践しようとするのであれば
神様は必要ありません

神様に対して「あなたは必要ない」

或いは 普段はいらないけど
困ったときだけ助けてほしい なんて
言われたら どう思うか

神様と人とに もし距離があるとしたら
人の意識の方に問題がありそうです

神様の存在というのは決して
聖書の中のおとぎ話ではないのです

今も 生きて働かれておられます

もし 神を学ぶ書物だけに頼り
行ける神を否定するのであれば

パリサイ派と呼ばれる 自分たちの
行いを誇ってイエスさまを処刑した
人々と同じになってしまいます

彼らの言い分は こうです

“私には律法があり それを全て
知る力も 守る力もある

だから イエスの教えは必要ないし
聖霊の存在は認めない”

聖書には 確かに良い実を結ぶための
素晴らしい教えがたくさんありますが

洗礼を受ける時に 教育係として
聖霊なる神がひとりひとりの中に
住んでくださいます

この聖霊が 聖書に書かれたことの
奥の奥にある深い奥義を語り

人の努力では とても出来ないような
「良い生き方」からの「良い実」を
結ばせてくれるのです

聖霊を受けておきながら
人の悟りで生きるのは勿体無い

もっともっと 神様の愛に
どっぷり浸かって成長したいな

と 思いました♪

使徒の働き1章7~8節
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」


神様との交流に際しては
ロゴスとレーマという2つの「神様の言葉」を
取り扱います

ロゴスは、恒常的な言葉=聖書に書かれた言葉を指し
レーマは、語られた言葉=神様の霊(聖霊)により
直接語り掛けられる言葉を指し

レーマは、霊的なインスピレーションとも言えます

神様と共に生きようと思うとき
書かれた言葉(ロゴス)を自分流に解釈してしまうと
神様の本当のお気持ちから逸れてしまうことがある

しかし、聖書の言葉を知らずに
霊的な語り掛け(レーマ)に頼ってしまうと

それが本当に神様の霊なのか
それとも偽りの霊なのか
更にはただの自分の思いなのかを
分別することが出来ません

偽りの霊も、自分自身の肉の思いも
容易に神様の言葉を捻じ曲げてしまいますので

霊的なカバー、守り(教会)にきちんと属し
聖書の言葉(ロゴス)を学び続けながら
神様との直接的な交流(レーマを聴くこと)により
成長をしていくことが大切です

正しいものに導かれているなら
必ず「結果」が伴い、そこには
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制
といった、【神様のご性質】が必ず現れます
ガラテヤ人への手紙5章22~23節参照)

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)