神様に心を向ける

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「良いことをしていれば 天において報われる」

そういう考え方は 日本のみならず
諸外国の土着の宗教にも見受けられます

ですが 実際に天におられて
報いてくださるべき
この世界を造られた神様は

「人が思う」良いことを
認められないこともあります

逆に言えば

例え 人からそしられるようなことであっても
良いこととされることもある

何が良いことで何が悪いことであるかを
知らなければ 報いを受けることは出来ないのです

ペテロの手紙第一3章13節~16節
もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。

 

苦しみにある時、ののしる人に対して
心の中の希望を伝えなさい

ということが書かれていますが

日本…だけではなく
土着の宗教などにもあるみたいですが

徳を積む

という考え方があります

善行が実らない時に
「天に徳を積んだから」

と いう人が居るのですけど

実は クリスチャンになっても
神様のためにとか 聖書にあるからと
良かれと思って頑張って動いていても

全く実が成らず

なんでですかー!と叫んでいる人が結構いるのですが

そういう時に、ある人が神様から受けた啓示があるのです

それが全てだな と思ったのですが
その神様からの啓示というのが

「わたしはそんなことを
やってくれとは言っていない」

だったのです

ここで 聖書における罪とは
何か というのを考える必要がある

聖書における罪 というのは
神様の示し・ご意見を聞かずに
好き勝手すること

なんですよ

だから これをやるのは良いこと!
と思って動くのではなく

これをやるのは良いことだと思うけど
神様のみこころですか?
今やるべきことはこれですか?

と 尋ねて確認してから動かないと
罪になっちゃうってことなんですね

勿論 神様は優しくて寛大で
赤ちゃんを育てるかのように
人を育ててくださる方で

何よりも 愛の方なので

愛の故に 行動しているのなら
神様を知らない人であっても
祝福はしてくださいます

でも 心の底には
これだけやったのに報いがない
と 不満に思いながら 口先だけで
「天に徳を積んでるの」と言うなら

それは全く 無意味なんですね

神様は行いではなく
心をご覧になるのです

そして 本当に愛の故に善行を行うなら
決して神様は捨て置きません

良い実を結ぶかどうか

例えノンクリスチャンであったとしても
結ばれた実こそが全てを物語るのです

先日 ある聖会で ある牧師さんが

私は神様のためと言いながらも
自分の教会のため 名誉のために
努力をしてきてしまいました

悔い改めます!!!と
号泣されていたのですが

そういう悔い改めこそが
神様が望まれている
悔い改め なんですよね

心からの悔い改めがあったところに
神様の栄光が現れると
世界で本当の神の臨在を見ている
牧師さんたちは仰っています

また 家族関係が壊れていて
それを修復する心がないままに
神様のためにとか動いていても
愛である神様は 働かれない

家族関係というのは
勿論肉の家族もありますが
クリスチャンの場合は
教会内の人間関係も指します

家族の回復と 心からの悔い改め

それを必要としている人に
聖霊さまが触れてくださることを
お祈りします

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