神様のイメージを生きる

最近、神様って人の罪も見ないけど
同じように人の善い行いも見ないんだよな

ということをふと思いました

では何をご覧になるのかと言えば
神様が、最初にこの世界を
創られた時に 良い と仰った状態

神様が創られた最高の状態を
維持管理することなのではないか
と思います

人で言うなら、神様が創られた目的
生来から与えられた賜物と目的に向かって
真っ直ぐに成長することであり

その事に対する思い 情熱は
多分最初にきちんと与えられていた

だけどそれを様々な理由で
傷付けてしまったり
傷付けられてしまったり

或いは原罪と言われる人の思い
神様曰く 人が思うことは悪いと
称されるものに従ってしまったり
敵の誘惑により罪が入ってしまったり

様々なことが原因で
見付けるのが難しくなっている

けど

神様は一度与えた賜物と権威を
決して取り去らない方なので

早く本来の目的に立ち返って欲しいと
思って待っておられるし

本来の目的を求めている人には
手を差し伸べてくださるのだと思います

神様は、人の罪を見ないことに
してくださったけど 同様に
人の思いによる行いもご覧にならない

それは、善い行いをしても
意味がないということではなく
「本来やるようにと召されていない」
一見 善さげに見える行いをしても

(例え人から評価や称賛を受けたとしても)

神様の義を行っていないという意味で
良くも悪くも評価はしてくれないだろう

というより

本来ならむしろ神様の義から外れていたら
罪なんだけど 罪はご覧にならないと
してくださっているから
なんの評価もせずにいてくださるのだ

ということです

悪い心というのは
名声やお金を求めるような
欲心みたいなものは勿論ですが

人から良く見られたい
という承認欲求や
自己実現を動機としたもの

心配を基軸に動くこと
恐れを基軸に動くことなど
神様以外の霊によって
動いている場合も含まれます

神様のみ心を行うものだけが
称賛を受けるわけですけど

それは神の言葉に忠実なもの
という意味だけではなく
(神様の声がなければ
動けないというものではなく)

神様に創られた意味と目的に
忠実であることも含まれる

要するに 自分が創られた意味に
沿ったことを一所懸命やることを
神様はとても喜んでくださるけど

そこから外れたことを一所懸命やっても
早く戻ってきてくれないかなーと
神様は待たれている状態だということです

前置きが長くなりましたが
今回のお話は 自分が示されていた

絵や文章を描く

ということと

りゅうくんをはじめ、人を導く

ということは別だと思っていたけど
そうではなかったというお話です

その中でも一番重要な課題である
りゅうくんを導くことについて

今までは、霊に感じたことを
ただそのままりゅうくんに伝えており

伝えても りゅうくんが不貞腐れてしまい
前に進まない という感じでした

りゅうくんは最初から
聖霊さまに口を用いられるのに
抵抗したり

神様が鷲の姿でやって来るのを見て
怖くて逃げるという夢を見たりと

新しい、良いものを恐れる
傾向がありました

その原因は自尊心の低さでしたが
言ったところでどうにかなるものでもなく
長年 私にとっても 多分本人にとっても
悩みのタネとなっていました

ですが、りゅうくんは唯一
自分は羊である という
ビジョンを見る時だけは
力強く神様の道を歩き出します

自分は羊だった と思い出すと
素直に落ち着いて神様に
ついていくのです

以前神様が教えてくださったのですが
白い羊というのは人(聖徒)の良心が
ビジョンになって現れた姿だそうです

今までは、りゅうくんは
自分でそのビジョンを見ていました

というか、今でもそれは続いていて
羊の物語は日々 前へと進んでいます
(まだ全文掲載出来ていませんが
ほぼ毎日少しずつ増えています)

ですが先日、何をきっかけだったか
忘れてしまいましたが
りゅうくんが自己嫌悪に陥り
なかなか浮上してこなかった時に

私が神様から、こんなビジョンを
見せられました

羊が穴にはまっており
下を見ると、底は見えず
暗く恐ろしい奈落のように見える

下を見るとどんどん下に落ちていくが
羊はそれが恐ろしくて
パニックに陥っている

だけどふと神様のことを思い出し
光がある上を向いて
めぇめぇと神様に助けを求めると

縦に深かった穴が90度回転して
羊は穴の側面だったところを地に
足をつけて立つことが出来る

更に、先程まで上だった方、
前方の光を見つめて歩き出すと
今度は穴が光の側を下に45度程傾いて
出口である光の方へ向かって
羊はコロコロと転がり出して
無事に穴から出ることが出来る

このビジョンをりゅうくんに伝えると
直ぐに寝室に移動をして平伏して祈り出し
暫くすると、すっきりした顔をして
戻って来てやるべきことを始めました

あまりに素直に動いたので
逆にこちらがびっくりしましたが

敵の嘘を掴んじゃだめよ
神様の方を向きなさい

と言うのでは通じなかったけれど

神様からのビジョンなら通じるんだ
ということがとても良くわかりました

この後は、りゅうくんが
また変な方を向いているなと感じたら
神様に祈り求めると 同じように
羊によるビジョンが与えられて

それを伝えるとりゅうくんがすぐに
神様に向き直るようになりました

私がりゅうくんを導くというのは
ビジョンにより導くということだったんだ!

だから神様は絵や文章を
描きなさいと仰るんだ

ということに
やっと気が付いたのです

また、絵や文章を描く賜物は
最初から与えられていたのだけど

最初から持っていたから
間違えた使い方をしてしまったり
利用されたりしてしまっており

その事を 神様はやめさせたいと
強く願われている感じがしたので
これらの賜物を神様以外のために
使うことはもうやらないと決めました

りゅうくんのために、他にも
色々なビジョンを見ましたが
それはりゅうくんだけに留まらず
周囲の人にも影響があるような
ミニストリーの預言のようでもありました

私の日記やりゅうくんの物語が
誰かの必要を満たしているように

私がりゅうくんのために見たビジョンも
誰かの必要となりそうな気がするので
今後はそれも形にしていこうと思います

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