嘘の役割を手放す

今日のテーマはQTを通しても
実際に起きたことを通しても
同じもので それは
目先のことに捕らわれる人に
巻き込まれない というものでした

先日の示しとほぼ同じですが
周囲の状況がどうであれ
神様にあって自分のやるべきことを
きちんとやる ということなのですが

何をするにしても主体性を持って
やれるようになる というのが
正しい表現なのかもしれません

例え同じ失敗をするにしても
自分で選んだなら自分の経験になりますが
人に巻き込まれて失敗すると
「巻き込まれないよう気を付ける」
という学習にしかなりません

昨年の今頃 これをやったら
絶対に大変なことになる ということを
「りゅうくんの学びのためにやりなさい」と
示されたことがありました

神様が示されることなら
仕方がないと思い従いましたが
りゅうくんに巻き込まれたわけではなく
神様に従って自ら進んでやったわけです

しかしそれによりりゅうくんが
学んだとは思えなかったのですが
その時に学べなかったことが今になり
やっとりゅうくんにも見え出したのです

もし 昨年あの痛い経験がなかったら
私がりゅうくんに厳しい現実を
突きつけることをせずに
不本意なフォローに回っていた気がします

しかも その不本意なフォローをする動機は
神様が作られていない私の優しさによりますが
それこそが 敵が私に背負わせた嘘の役割です

昨年私が痛い目に遭っていることに加えて
私の優しさが神様の御心ではないことを
わかっているから今 りゅうくんが
学ぶ邪魔をせずに済んでいるわけです

昨年は 私がりゅうくんの学びの邪魔を
しないように整えられていたことがわかります

クリスチャンになる前 自分が周囲を甘やかして
ダメにしてしまっているのではないかと
感じることが多かったのですが
正にその通りだったなぁと思うと共に

背負いたくない余計なものを
背負わずいることが出来ることと
私が人の成長の妨げにならずに
済んでいることに 本当に心から感謝をします

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