神様が作られていないものに左右されない

今日は届け物もあったのですが
自宅でやるよりも母の家でやる方が
効率が良さそうなことがあったので
礼拝ライブを見た後 実家に行きました

案の定 自宅でやっていたよりも
かなり楽に作業を進めることが出来て
とても助かったのですが

りゅうくんがひとつの課題に
ぶつかってしまいました

こちらは客観的に見ている身なので
ここが原因 というのはわかりますし
指摘をすることも出来ます

しかし問題点がわかったとしても
それをどう変えれば良いかという
スタイルを決めるのはりゅうくん本人です

話をしていると お互いがお互いに
(善かれ悪しかれ)大きく影響してしまい
自分のスタイルを探したり貫いたりするのが
難しいのかな と感じたのですが
それはりゅうくんも同じようでした

話を終えて一人になったときに
その揺らいでしまう原因こそが
神様が私に語られた「神様が作っていない
優しさ」であるような気がして

過去を振り返った時に その優しさが
どれ程に自分の人生を歪めていたのかと
思い起こされることがたくさんあり
凹む思いがしたのですが

神様から その自分を責める思いこそ
敵からの嘘だと指摘をされ

出来なかったことを悔いるのではなく
自分がやりたいことをきちんと
譲ることなくしっかりやりなさい
その思いを与えているのはわたしなのだから

と示されました

この世の諸々に阻まれて
譲ってしまう弱さこそが
神様が作られていない優しさだ

ということになります

譲らずにやり遂げる

それが神様のみこころであるなら
どんな邪魔が入ったとしても
私が折れない限りはやり遂げることが
出来るはずだと感じたので

しっかり祈りながら神様の御手に
委ねられるようにしたいと思いました

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