神の義に立つ

昨日寝る前 りゅうくんに対して
神様から示されたやりなさいということをやることが
神の義に歩くことであり そのようにすれば
必要はすべて満たされる ということと

「他の人のためになるから」「将来役に立つから」という
大義名分つけて誘惑を掴んでしまい 結果神様から示されたことを
後回しにしたり 見向きもしなくなってしまうのであれば
アダムの呪いに歩くことになるし 何より
今の今 今日の必要や明日の必要というところで
干上がるよ ということを明確に伝えました

それを伝えた時は当然ながら物凄い凹んでいましたが

しかし朝になると 実はその様に掴んでしまっていた誘惑により
一か月以上かけて作りこんだものが ルール変更により
殆ど全て無駄になってしまうことが確定した上に
普通なら絶対に間違えないようなミスが昨日見つかり
とどめを刺されたと感じた と言います

実はこの件は 神様から「そこには愛がなく
わたしから出たものではない」とはっきり示されていたのに
止めることなく進めてしまっていたのです

作ったものを破棄した方がいいのかなぁ と
しょぼんとしているので

「破棄しなさい」ではなく「権威を取り戻して敵を従わせよ」と
神様は仰っているのにただ捨てるだけなら
本格的に敵に負けたことになる気がするから
きちんと言われた通り その領域の権威を取り戻してから
扱いをどうするか神様に相談したら?と言いました

今日は1年ぶりぐらいに とある牧師婦人に
お逢いすることになっていたので
ひとまずその話は置いて出かけてきたのですが

(その牧師婦人とお逢いする経緯はすごい奇跡的で
私の母教会の神学校に通い始められたと聞いて
連絡を取ることになったのですが)

帰って来てからりゅうくんが とても霊に燃えていて
熱心に声を出して祈り出したと思ったら
物凄い大量の文章を書きあげて送ってくれました

以前書いている通り 神様がりゅうくんにやりなさいと
示されていることというのは 啓示や物語を神様から受け取り
ことば(文章)を書き記す ということです

神様も りゅうくんが召しに対してやっと心を向けたので
たくさんあった語りたいこと(書いてほしい文)を
熱く注がれたに違いない と思うほどに大量の文章でした

昨日今日で 神様がりゅうくんに文章を書くように仰るのは
出エジプト記17章のアマレクとの戦いにおいて
モーセが杖を上げている間は優勢になり
杖を下げるとアマレクが優勢になったというように

りゅうくんが文章を書いている間は敵に対し優勢になり
書くのを止めると敵が優勢になる ということなのではないかと
とても強く感じ 事実りゅうくんが祈ったり文章を書いている間に
先日私が失敗して凹んでいたことを取り戻すことが出来たのです

自分の口では この件は神様の奇跡がないと
どうにもならないことなんだからね!と言っていましたが
実際それが現実になると あまりの奇跡に唖然としてしまったのですが
神様の大勝利だ!と神様を褒め称えました

りゅうくんとしても 自分が文章を書くことに
意義を見出せたようで とても嬉しそうでしたし

今まで私がやっていることを見て 僕もやりたいと言っていたのに
私にそれをやって欲しいと言ってくれました

自分の十字架を背負う覚悟を決めてくれたと感じましたし
それならば私は私で 自分のやるべきことをきちんと
やろうという思いが再び与えられました

打ち破りと解放 そして正しい立ち位置にやっと
整列が出来たと感じました

本当に心から感謝します❤

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