今に固く立つ

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クリスチャンになる前からの話ですが

自分がどのように働いてどのように
収入を得ることと向き合っていけばいいのか

またクリスチャンになってからはそれに加えて
自分の賜物をどこでどう生かすのかということも含め
かなり長い間 模索というか祈り求めていたのですが

最近それについて神様からの答えを頂きつつあります

神様との対話の中での「仕事」というものには
この世の働き方とは全く違うものがあります

それは 神様がこのことについて祈るようにであるとか
誰かに何かをしてあげてという促しを受けて行動したり
霊的戦いに勝ったりした時に 神様からの報酬として
思いがけないような恵みを頂くというものです

この世のお金稼ぎとは全く違いますが
神様はそのようなことも「仕事」と表現されることがあります

しかし 私個人のことで言うと いわゆる
この世の方法でのお金を稼ぐというところで
神様から(預言を通して)

ビジネスとミニストリーの融合 であるとか
あなたがやってきたビジネスよりも
(私が楽しめるという意味で)面白いことを用意している
といった表現をずっとされてきました

実際 私が今までやってきた仕事の中心であることは
私にとっては「それで収入を得るのはもうこりごり」と
思っている領域だったりします

若い頃(25歳ぐらい)に この仕事は確かに
お金になるけど 10年後にお金しか残らない
という危機感を持って以来 ずっと
自分の働き方について模索していたのです

そういう思いでいたせいもあるでしょうが
お金に目がくらんだ人に振り回されて
本当に大きなダメージを食らいました

クリスチャンになった時 神様に
この壊された領域から手を引くべきか
それともあなたにより修復して頂けるのか
どうか教えてください と真剣に祈りました

その答えはすぐには頂けなかったのですが

数年後にりゅうくんが 悪魔たちによって
今にも崖から落とされそうになっている建物に
神様が羽を付けてくださり 地を這うものが
届かない領域へと高く飛ばした後に
その建物を御国に植えてくださるというビジョンを見ました

その後 本当に当時壊された領域が少しずつ
神様によって修復されているのです

しかし昨年ぐらいから自分の中に
ビジネスに対して間違えた考えがあるということに
なんとなく思い当たるようになりました

それについて神様に どういうことですかと
ずっと聞いてきたのですがその答えを
QTを通して頂くことができたのです

それは 神様が創られたビジネスの仕組みは全て
人の心により良くも悪くもなるということです

例えばよく言われるのが医療や金融の領域で
これらを悪魔的だと嫌う人もいると聞きます

しかし 神様は癒しを医療の領域を用いて
もたらされるという証もたくさんあり
間違えなく医療は神様から出た分野だと思います

同じく金融の領域についても 物々交換こそ
良い方法だという人がいますが
金融システムはユダヤ人が散り散りになったときに
大変彼らを助けたものであり そこにも
神様の知恵があったことが伺われます

またその時神様は 何故かお墓という制度についても
それを悪い心で用いるかどうかの問題であって
システムとしては何も問題のないものだと示されました

それを示された時 ルカの福音書16章にある
不正の富にでも忠実でなかったら
真の富は任せられない であるとか
小さなことに忠実なものは大きなものにも忠実である
という聖書箇所が思い起こされました

またパウロは 最初はクリスチャンを迫害していましたが
イエスさまに出逢い最も熱心な使徒の一人となり
聖書の教えという意味では多大なる功績を残しましたが
そのことも同時に思い起こされました

対して 自分がクリスチャンになる直前に
働き方の一環として参考にしていた情報の中に
一見 とても良いもののように見せておきながら
実は大変悪魔的なものがあることに気付きました

それは 大きな富を得るためのノウハウとして
教えているほぼすべてに共通していたのですが

成功者とだけ付き合い 募金や寄付などにお金を用いて
欲しいもののイメージをビジュアル化して
いつも目に付くところに置くといったものでした

私はそれらを聞いたとき 最初に
なんて排他的で狭い考え方なんだろうと思いました

もしそれが良いことであるとしたら
マザーテレサなどの救済活動をする人たちが
事業を維持存続させられたことの説明が出来ないな
とも思いました(クリスチャンになる前の話です)

お金や力がある人がそれを一つに集めることで
力を増大させることと それに群がる取り巻きを
作る仕組みだということも感じました

また 成功者の真似をすることや
コミュニティを作り大きくすることが
成功であるという考えも共通した特徴でした

ぶっちゃけ それはあるものを右から左へ
動かすだけで何の生産性もないと感じたので
それが「良い働き方」「成功者」というのは
何か違うなぁと思っていたのですが

聖書を読み始めて それこそこの発想は
バベルの塔を思い起こさせるものだと気付きました

神様は確かに人々が一つ思いに集まる時
力があることを認めており だからこそ
人々の言語が分けられ バベルの塔が
築かれないようにされたのです

バベルの塔があった場所こそが偶像崇拝発祥の地であり
神を頼らず人の数に頼る考え方というのは
神様から出ていないと言い切って良いと思いました

自由意志の入る余地がないこと
コントロールをするという発想は悪魔的
という言い方で片づけてもいいかもしれません

実は以前の私は 自分で自分を制することは
良いことだと思っており 自分を律するために
自分軸をしっかり持つというワークショップを
していたことがあるのですが
そういうものは神様の目から見て
喜ばれないものなのだと気付きました

一人ひとりに賜物があり 誰もが
同じものが得意である必要はないのです

また自分の知識や考えにより強くなる必要もなく
ただ神様の愛により強くなることだけが本当の強さであり
自分で自分を守る手段なんていうものは
全員が持つ必要はないのだと気付きました

神様は 一人ひとりの賜物や役目に応じて
必要な全てをくださるのであり
それに人が足したり引いたりする必要はないのです

また 以前の私は人の役に立つ仕事をしたい
ということを強く思う反面で
人の役に立つことでお金を貰うのが嫌だという
物凄い矛盾した思いも同時に持っており
自分で自分の首を絞めている感じだったのですが

最近は 私の場合はお金を稼ぐ方法については
自分の賜物を生かすことだけにフォーカスして
それで得たものを神様のために使うという
スタイルで良い気がしてきていたのですが

その後押し というか裏付けとして
今日の示しがあったように感じます
お陰でものすごい肩の荷が下りました

りゅうくんと一緒にやるであろう
ビジネスとミニストリーの融合というものは
また別物であり それは間違えなく
神様のために行うものであると思いますが

最近ずっと りゅうくんに言い続けていた
今やるべきことをしっかりやる ということが
今日の礼拝のテーマでもあったので
今に固く立ちたいと思います

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