人を美しくする贈り物

人の欲というのは恐ろしいもので
それを満たしたからといってそれで満足することなく
むしろ 得ることにより高慢となり
より一層貪欲になっていくように感じます

「感じます」というより 実は今日のQTで
神様がその様に示されたのです

しかし実際 それはその通りだなぁと思うのですが
私が望んだのではなく 神様が私に下さったものは
神様の目から見て必要なものであったと思うのですが

それらはいつでも新鮮な 心が洗われるような
神様への感謝の思いをもたらしてくれます

事あるごとに神様がしてくださったことや
神様がこれが(当時の)私に相応しいと
してくださったことの深い意味を実感し
その思いは色褪せることがありません

ですが 自分の思いで得たものというのは
いつも私をがっかりさせるのです

神様が良いと言ってくださったと思っても
実は私が「やって良いですか?」と聞いたために
自由意思を尊重してくださる神様は
良いと言ってくださっただけだなぁと
思うこともしばしばありました

やって良いですか?という尋ね方では
神様は 良いと言ってくださるのです

行って良いなら行けと仰ってください という
ダビデの祈りは本当に的を得ていたと思います

しかし 逆を言うと自分の意志でやったことが
どの様な破れ口を作ったかを考えることで
自分自身にどんな弱さがあるのかであるとか
神様がどのように私を鍛えられているのかを
見ることも出来るなぁと感じています

そんな時 たまたま母の実家で見たTVで
小さな子供が元オリンピック選手の指導で
本当に少しのアドバイスで驚く程に
弱点を克服して強くなっていくという
ドキュメンタリーを見たのですが

先生は スピード感ある動きの中に
本当に小さな癖 弱点を見出してくれて
それを修正するための的確な練習方法を
教えてくれた上で 次のレッスンまでの
目標設定を子どもにさせるのです

オリンピック選手に師事する子どもたちですから
勿論 彼らの目指すところは高いところばかりで
どの子どもも 自分自身に少し背伸びをして
届くかどうかという設定をしてきます

そして 必ず先生の前でその課題を成功させるという
熱意を持って 次のレッスンまで練習をするのです

最初はただ楽しくその競技をしていた子どもが
試合という経験を経て良い先生に出逢うことで
目標の持ち方も 取り組み方も全く変わっていくのです

それを見たのは偶然ではなかったな と
後になって思いました

最近 幼い頃に父親から自分の良さを全く認めて貰えず
良いことをすればする程 皮肉ばかり言われたことで
募らせている怒りが相当蓄積しているのを感じることが多く

良い環境下で正しく育てられるという経験は
自分にとってとても重要なことであると感じます

神様は 最高の親であると同時に
最高のコーチでもあります

楽しいからやる の次のステップを
とても楽しみにしています

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