家の中で安らぐための解放

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最近神様から示されていることは
私の中では両立し得ないと
思っていた2つの事柄なのですが

神様によりそれが形作られつつある
ということを日々感じています

2つのうち1つについては
ここ数日の日記にも書いている通り
神様から頂いた学びの経験を
りゅうくんに伝えることです

他人であれば自制して聖霊さまに
委ねて丁寧に伝えることが出来るのに
家族に対して手を抜いてしまうというのは
自分の内面まで聖霊さまに
委ねきれていないということだと思うのです

イエスさまを現そう と祈ることで
祈った時だけがその様であるなら
自分の命が創り変えられたとは言えません

特に 家の中で何か嫌なことがあった時に
どの様に反応するかについて 神様は
ただやり過ごして黙っているような
間違えた忍耐をするのではなく きちんと
何がどう嫌だったのかを自覚するよう促されます

漠然と 嫌だ と認識するのではなく
どの点で何が問題で嫌だと感じているのかを
クリアに見せてくださいます

その上でどう対処するかについては
結局のところ怒ってしまうことになります

これが他の人に対してだったら
怒っても 一旦その怒りを横に置いておき
どの様に対処するべきかを聖霊様に
相談し 委ねることが出来るわけです

と いうより りゅうくんに対しても
最初の頃はそのように対応していましたが
最近 神様がそういった「大人の態度」を
しないように促されている感じなのです

大人の態度を取らないということは
感情のままに怒ってしまうことを指します

私がなぜ今まで自制して怒らなかったのかと言えば
怒ることで自分自身が凹むからです

ところが神様は そのように凹むことは
間違えていると示されます

あなたは幼い頃に貰うはずだったものを
貰わなかったのだから 知らないことは出来ない
だから自分を責めなくていい と慰められると同時に
何か暖かいものを頂くのです

恐らく 子どもの頃に私が怒った時に
きちんと受け止めて貰えなかったことを
神様が仰っているのだろうと思います

確かに(子どもの)怒りに対する正しい受け止め方というのを
私は知らないし 受け止めて貰った覚えもありません

その慰めを聞くたびに
自分が悪い 自分に問題がある
また本来与えてくれるはずのものに
頼れないのだから自分で得なければならない
そういった 自分に対する厳しい思いが
あることを思い起こされ

同時に 自分が得たことがないものについては
自分自身がまず神様から受け取らなければ
いけないのだという気持ちが与えられるのです

私とりゅうくんの間に神様がいて
私に対しては 子どものようであるように示され
りゅうくんに対しては 大人になるように示されます

そしてそのことにより
りゅうくんは私の上に立つ権威であり
私を守るものだという自覚を促され
私は りゅうくんに守られながら
りゅうくんを神様の道に歩ませる支えを
するものなのだという促しを与えられています

教えながら 子どものようであるという
私にとっては両立しないと思っていたことが
私の中で両立しつつあるのです

その体験をする中で 私の中にあった
人に対する警戒心が溶かされていることを感じます

怒るということは 傷つくということです
傷付けられて怒っている時に正しく
扱われなかったことが 私の中で
不信感となってしまっていたのだと感じますが

外では(普通に)丁寧に扱われていたから
外に対してはきちんと出来るのだけど
家の中だけが安全ではなかったので
身内に対して出来なかったのです

家の中では守ってくれる人がおらず
安全ではなかったから警戒していた

というのは自覚していましたが

安全ではない中で傷付いた時の
扱われ方により更に警戒心が増していた
ということでしょうか

簡単な問題じゃないし 本当に
必要は神様だけがご存知だと思いました

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