私が人に渡すもの

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昨日 違和感を感じた事柄に対して
りゅうくんに 祈ってみてくれる?
神様が何かを示してくれたら教えて と
お願いをしたのですが

即座に神様がりゅうくんを通して
答えてくださいました

3つの汚れた霊について示されたのですが

自分の中に それらの霊にやられた人に対する
嫌悪感や怒りを過去にずっと持っていたことが
思い起こされたので それを手放す祈りをしました

それぞれを具体的には言い現わしませんが
平たく言えばこの世の力そのものです

神様に頼ることよりも お金や地位名誉を
頼りにする人というのが どれほど虚しいかは
聖書を見ればわかります

終わりの時にそれらは全て無に帰るので
人々は落胆し 歯噛みするのです

この世の終わりの時でないにしろ
この地での命が尽きる時に
お金は誰に渡されるかということについて
聖書の中にある 伝道者の書では
示唆的なことが書いてあります

平たく言えば 労苦しないもの
管理者として相応しくない者の手に
財産が渡ることは虚しい というニュアンスです

聖書の中ではこんな記述もありました

神を恐れ 下のものをよく顧みて
人々の良い暮らしを守る王が立てば
人々は神を賛美し 王を大切にしました

ですが己の欲のまま 思うままに
人々を虐げた王は 街の外に捨てられました

仮に 史実においては外交上手で
周辺諸国との貿易で栄えた時においても
その栄えというのは表面的なもので
恐らく下々の 苦しむ人々にとっては
苦しい時であったのでしょう

神様はそのような王を喜ばず祝福もされません

多くを得て 多くを養うよき管理者を
神様は喜ばれます

りゅうくんは 祈りの後に
人々が見向くことのない乏しい人に
私が何かを渡すビジョンを見たそうです

それを聞いた時 この聖句が思い起こされました

使徒の働き3章6節
金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。
ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。

以前 本当に私に何もなかった時 神様に
私は人に何かをあげるのが大好きです
与える賜物をどうか用いてください
与えたくても与えるものがないのです

と お祈りをしたことがあります

この話は以前日記に書きましたが
私の目の前で落とし物や忘れ物をする人が
続出してしまい 当然ながら私は慌てて
それを拾って持ち主に渡すのですが

その時には 宮の献金のために釣りをすると
魚が銀貨をくわえていた という聖句を
思い出しました

目の前でこうも落とし物や忘れ物を
されてしまうのも困るので

神様が私の願いも賜物もよくご存じであり
原資はいつでも準備できることはよくわかったので
人が物を落としたり忘れたりしませんように
と 祈るとその現象は止まりました

でも その時に思いましたが
私が本当に人にあげたいのは物ではく
使徒の働きでペテロとヨハネがしたように
イエスさまを分け与えることをしたいのです

それで思い出したのですが

少し前に 預言的に5つのパンと2匹の魚の
ポストカードを貰ったことがあります

その時りゅうくんが あなたに与えた知恵は
分けるとパンのように増えるという
神様のレーマを受け取ってくれました

最近 私に与えられた知恵知識が人の手に渡り
その人の手の中でそれが増え広がり
大きなみ恵みになるという印象の出来事が
いくつか起きているのですが

もしかしたら 今が そのレーマの
成就の時なのかもしれません

私が自分では何も持っておらず
そこに神様の栄光が現れることに感謝します

私が人に渡すものが
神様そのものでありますように

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