賜物が活きる場

賜物を用いさせてください という
祈りをした結果見えてきたことは

賜物に対する信頼と尊敬があるところでは
その賜物は物凄い力を発揮する
ということでした

このことを思った時 イエスさまが
自分の故郷ではあまり奇跡を
為されなかったことや

弟子たちに町へ行くように言った時に
受け入れられない場所においては
伝えることだけは伝えた後に
足の砂を払ってそこを離れるようにと
仰られたことが思い起こされました

具体的なことを言うと
私の賜物を理解して信用してくれる人が
私のことを頼ってくれる時に
私たちが思う以上に神様が
働いてくださる というのを見たのです

それは 本当に喜びでした

またそのことは 自分自身に対しても
同じことが言えるようで

自分にとっては呼吸をするかの如くで
思いっきりノーチェックだった
預言の賜物について意識してからというものの
自分に対する預言が ふとした時に
口をついて出るようになりました

今までは どちらかというと
思いが与えられて 吟味をして
という感じだったので
自分の意志を全く超えた思いが
口をついて出るというのは
なかなか新鮮に感じますし

その事により 神様との関係も
今までと少し変わってきていると感じます

また 使徒の賜物についても 今まで
なんとなくそうなんだろうなぁと思いつつも
自分がそれを持っているということは
自分以外の人が認めない限りは
意識しないでおこうと思っていたことと

これは使徒の賜物の特徴らしいのですが
ケースバイケースで他の賜物を
用いることもあるのだそうで
使徒の賜物はあるような気がするけど
本当の賜物は何なのか という
混乱があったのですが

色々な人と話しをする中で やっぱり
使徒の賜物だという確信を持つにつれて
自分に与えられた範囲や
やるべきこと やれることの範囲が
はっきりわかるようになり
混乱が収まったことにはとても感謝でした

預言については今までも教会で
たくさん学んでいますが
使徒についても学ぶべきだという
思いが与えられてきているのですが

問題は「誰に教わるか」だ
という思いが以前より強く与えられており
私が整列するべき場所はどこかなぁ と
それが明確に示されることを期待して
その「時」に 全てが整うことを祈っています

賜物については この2つだけではなく
教師についても示されましたが

教師の賜物は りゅうくんの方が
強い(りゅうくんのメイン)と感じるので
自分にそれがあるという意識しはしつつも
この面については りゅうくんを立てて
自分はサポートに徹したいと思いました

五役者の教えの本の中で
最初サブの賜物が現れて
メインの賜物を建て上げるために
サブの賜物が用いられるとありましたが

自分の興味は使徒と預言の方にあり
それを建て上げるために必要なのが
教師の賜物だと感じています

りゅうくんは 逆で
教師の賜物を建て上げるために
預言の賜物があり 今はそれを
用いるように神様から示されている
時期であると感じます

少し前 自分の賜物が明確になった時
賜物を用いる機会を頂けるようにと
祈った答えがこのように 日々
頂けていることに感謝をします

今の私の一番の祈りは
この地で自分の賜物が受け入れられて
働くことが出来るように ということです

使徒や預言という 一般的に
今の既存教会に受け入れられにくいと
されるものが この地で受け入れられること

それが 私の今の一番の願いです

どういう形で 誰に向かって
それが為されるのかはわかりませんが

人を縛っているであろう
呪いを砕く祈りを積み上げることは
私にとってはとても楽しい
仕事であると感じます

神様の栄光が 地に現れますように

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