全てを良いものに出来る神

良い実を結ぶかどうかというのは
人がどう思っているかに寄らず

神様の目から見て良い心かどうか
背後の霊がどういうものであるか
なんだろうなぁと
思うことがありました

人が本来の恵みを受け取らず
悪いものから施しを受け取り

私は人の世話にはなりませんし
自分には十分あるのだから
むしろ与えます と言って
悪いものから得たものを
差し出す人がいます

本人は それを良いものだと
考えていると思うのですが

しかし聖書には 悪者の稼ぎは
良いもののために蓄えられる
という表現があり また
そういうものを差し出される時に
「あなたの報酬はぶんどり品」
という預言が頭を過ります

聖書には 不正の金で友を作れ
とも書かれていますから
悪いことで得たものでも
神様のみこころの通りに
使われるのであれば
それは生きたものになるのでしょう

悪いものでも益にしてくださる神様が
褒め称えられますように

神様は悪いものにもみ恵みを注がれる
しかし 御国に入る人は少ない

最近 本当にこのことが
思いとして与えられることが多いです

御国に入る条件は イエスさまの贖い
神様の愛を信じて受け取ることであり
そこから始まる神様との関係の中で
御国に入るのに相応しいものへと
建て上げられる過程を経ていきます

私は多分 神様によって人が変わるのを
見ることが 地において一番好きなことなのです

だから 飢え渇きが与えられるのだろうと思います

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