深いところに隠れた傷

昨日のセミナーに引き続き
今日の礼拝メッセージも
預言者さんのメッセージだったのですが

預言者さんのメッセージの
凄いところは その場にいる聴衆の
心の中にある思い違いや疑問を
拾って答えてくださることです

霊に感じて言ってらっしゃるのだろう
と思いますが

礼拝が始まる直前に
兄弟姉妹と会話をしていた
内容に対する神様のご意見を
いくつも示してくださいました

ですので 逆を言うと
メッセージを聞いている中で
何か疑問に思ったり
違和感やストレスを感じる時に
神様 これはどういうことですか
教えて下さい!!と心の中で
叫んでいると 神様は必ず
答えをくださいます

預言者さんがいなくても
勿論答えてくださるのですが

仲介が出来るのは 神様の答えを
クリアに聞き取れるか
或いはその問題に向き合って
乗り越えた経験がある人でないと
きちんと受け取って伝えることは
出来ないのです

今回のメッセージの主題でもありましたが
言葉だけは受け取れても
実践出来ていない人がそれを言うと
説得力がない上に 聞く人に
軽蔑の思いがわき出てしまいます

イエスさまの時代のパリサイ人たちが
正にそのような人たちで
律法を教えはするけど実践しておらず
そのような人から教えられても
癒しも解放も起きないどころか
軽蔑の心まで背負うことになります
だから当時 彼らは人々から
嫌われていたわけです

また 問題の本質を真の意味で
理解している人がいなければ
答えを受けとること自体に
時間がかかります

とても不愉快なことが起きたけど
なんでそのようなことが起きたのか
理由がわからないとなると
全てをご存知の神様に
光を当ててもらう必要があります

その光を取り次ぐことを
最も得意としているのが
預言者さんなのです

実は昨日のメッセージの中で
とても疑問に思うことがありました
とてもイライラするのですが
その原因がわからず
一体何が起きているのですか!と
神様に叫んでいました

すると その時は気付かなかったのですが
預言者さんが metoo運動についての
お話をされたことが
このイライラの解決の糸口であると
気付きました

metoo運動というのは
地位や権力がある人たちから
パワハラやセクハラなどの
被害を受けた女性が

勇気を出してその事を
明るみにすることで
同じように被害に遭った人が
metooとハッシュタグをつけて告白し
地位や力ある人たちが
失脚させられているというもので

ハリウッドから始まり 世界的な
ムーブメントとなっています

預言者さんは 世界レベルで
聖めが起きていることと
そのハッシュタグで告白をした
人たちが 教会に押し寄せている
ということを証してくださいました

教会の外で神様が働かれることに対しても
教会は備える必要があるという
お話の趣旨だったのですが

また勿論 その運動自体は
私自身も知っていましたが
セミナーも終わり ネットカフェに行き
今回のイライラの原因を神様に
祈り訪ね続けていると
この話と今いる場所の問題に
リンクする霊的背景があることに
気付きました

更にいうと それが自分とは
無関係であるなら 出ていけと
命令すれば出ていくのに
なかなかそのイライラが消えません

ということは そこにリンクする
何かが自分の中にあるのだと思い
その原因は何か祈り求めました

すると 神様は私が
中学生の時に ある権威ある人から
痴漢行為をされたことを
思い起こさせてくださいました

当時まだ性的な知識は全くなく
自分が何をされたのかもわからず
しかし この人と二人きりになるのは
危険だということだけ直感して
その時は全力で逃げたのですが

しかしその後 何度も何度も
家に電話が掛かってきて
二人だけで会わないかと言われました

自分がされたことを親にも
誰にも話すことが出来ずにいたので
何も知らない母が ○○さんから
電話よ と取り次いでしまうことに

なんで大人の男の人から
中学生に何度も電話が来ることを
おかしいと思ってくれないのよ!と
怒りまで感じるようになり
親に対しても心を閉ざすように
なってしまいました

その事が原因で 父との関係も
(元々そんなに良くありませんでしたが)
とても悪くなってしまい
私の人生における大切な部分が
それにより壊されてしまったのです

その男性に対しては 何度電話が来ても
みんながいるところで会いましょう
の一点張りを押し通しました

するとそのうち諦めたのか
電話が来なくなったのですが
みんなの集まりにもその人は
来なくなってしまいました

そして 周囲の人たちが
彼最近来ないねどうしたんだろう
と言い始めるようになりました

当時の私は良くも悪くも
物凄く純粋で 私のせいで
来辛くなっちゃったのかな?と
罪悪感を感じ始めて

こちらからその人に電話をして
どうして来ないのですか
みんな待ってますよー
と言ったのですが

その人は二度と現れることは
ありませんでした

高校を卒業する頃に
初めてその話を人に
言う機会があったのですが

痴漢行為を吊し上げられると思って
怖くて来れなかったんじゃないの!?
と 爆笑されてしまいました

それで余計に やっぱり
悪いことをしてしまった
という思いを持ってしまったのです

汚された という思いは
確かにありました
汚いものに触れられて
汚染されたという感覚です

しかし それよりも
人の居場所を奪ってしまった
という罪悪感の方が強かったのです

しかし 日本の性的罪に対する
考え方はぶっちゃけて言うと
とても歪んでいますし
狂っています

誰に話しても自分の納得出来るような
言葉をくれる人はいませんでした

悔い改めて罪から離れて欲しい
とは思いますが
その人を叩いたり潰したり
社会的に抹殺しようとしたり
する風潮には同意したくありません

かといって 罪を正当化もしたくないし

世間的に 通り魔や痴漢に遭うと
女にも原因があるというような
言い方をする人がいますが
そういう風潮にも同意しません

それらはいずれも
背後の霊による嘘です

しかし聖書には 性的被害に遭っても
助けを叫ばなければ女も同罪と
書いてありますから
叫ばなかったんだから私も
同罪だと思っていました

しかし当時の私は自分が
何をされているのかわからず
その人を罪に定めることを
していいかどうかわからなかった

何より それをすることで
場を壊すのが嫌だったわけです

小学生の時 友達だった男の子に
急にいじめられるようになった際に
親に過剰に介入されてしまった結果
その友達との関係が
修復不能なまでに壊された
という経験もあったので

親に相談したらまた全てを
壊されるという恐れがありました

自分が被害者だと思うことよりも
場を守ることの方が自分にとって
大切なことになってしまっていたのです

そしてそれは 母のメンタリティでした
自分さえ我慢すればいいという
日本の女性に多くある間違えた考え方です

私もその影響を受けていたのです

しかしそれは勿論間違えています

意図せずにでしたが
私は誰にもその事を公表せずに
場を守り通してしまいました

しかしその事が 私を
孤立させることとなったのです

その場所において私は人々から
頼もしい人 頼られる人として
人望を得ることになりました
しかし心の中ではとても
孤独感を感じるようになりました

場を守るという意味では
敵に勝てたかもしれませんが
自分のことを完全に
置き去りにしてしまったのです

私は 人を守るだけではなく
自分も守れなければいけない
それが上手く出来ないのが
私の弱味であったわけですが

だからこそ 私は自分がまず
幸せでなければならない
まず自分がきちんとした
意識を持たなければならない
ということを強く意識するようになり

神様の言葉を聞くことが出来れば
ミスリードをしなくてすむ
神様の声が聞けるようになりたいと
強く思うようになったのです

話を戻しますが

イライラの原因を探ったとき
ネットカフェという場所に
ポルノの霊がたくさんいる
ということに気付きました

なので それらの霊に対して
イエスさまの名により
縛り上げる宣言と
要塞の破壊を宣言しました

そして翌朝(今朝ですが)
喫茶店に移動をしてから
神様に この件からの
完全な解放を祈り求めていると

自分が傷つけられた
ということを認めて受け入れなさい
と示されました

自分が悪いとばかり思っていて
傷つけられたという自覚は
全くありませんでしたが

客観的に考えてみれば
確かに 無知な中学生が大人に
嘘をつかれていたずらされる
ということは傷付けられたという
以外に言いようもないことです

自分は傷つけられた
傷付いたということを受け入れると
それだけでもかなり
解放を感じましたが
まだ何かが足りないと感じました

きっと教会に行けば解決がある
と感じたので 教会に行くと
丁度ヒーリングルームの時間だったので
早速その事を祈ってもらいました

すると 奥の奥に小さな傷が見えて
それを神様が癒してくださろうと
している と言ってもらうと
イライラの原因となっていた
不快感が消え去りました

自分が傷付いたことを
まずは一旦受け入れる
ということはすごく大切で

自分は傷付いてないと思ったら
傷を隠してしまうんだな

と いうことを深く実感しました

神様を知らなかった時 この件について
誰も解決策を持っていませんでした
怒る人 裁く人 笑い飛ばす人
自暴自棄になる人 諦めた人など
ばかりでしたし

宗教は 罪を定めるばかりで
解決や救いはありませんでした

人が神様の元に帰ることで
罪から解放されて
自由になるという救いが
神様により与えられている
ということを知っている人は
いませんでした

そして この解放があって
やっと なかなか読めずにいた
旧約聖書の預言書が
読めるようになりました

読めなかったのはホセア書からです

ここは 預言者に遊女と結婚させ
イスラエルの罪を神様が厳しく
言い表すところで とても読むのが
辛くて読めなかったのですが

読んでみて 自分が読めなかった
理由がよくわかりました

ホセア書7章13-14節
わざわいなるかな、彼らは
わたしを離れて迷い出た。
滅びは彼らに臨む。
彼らがわたしに向かって罪を犯したからだ。
わたしは彼らをあがなおうと思うが、
彼らはわたしに逆らって偽りを言う。

彼らは真心をもってわたしを呼ばず、
ただ床の上で悲しみ叫ぶ。
彼らは穀物と酒のためには集まるが、
わたしに逆らう。

苦しんでいながら
神様に叫ばず 救いの御手により頼まず
悪いものに依存することは
神様に対する罪である

ということがはっきり書かれています

私は罪人ですから離れてください
私は罪と共に滅びます という態度は
人を平安と希望と祝福の目的をもって
創造された神様からしてみたら
それは反逆以外の何物でもないでしょう

自分が傷付いたことを受け入れず
自分が悪いと決めつけて
神様に助けを求めずに
他のものに依存するなら
それ自体が罪であるわけです

以前は読むのが辛く感じましたが
今は この事を思い巡らす時に
深い平安と癒しを感じます

本当に 解放されたのだと
神様のあがないを受け入れさせて
頂けたのだと本当に感謝します

また 感謝をすると同時に

預言の働きというのは 本当に
とても重要で大切なものだと
改めて実感しました

私たちに神様が用意してくださっている
ご計画が 平安のご計画であることに
心から感謝します

神様が用意しておられる
良い行いのために自分を
整えることを今回学んだので
神様に整えて頂くことを
より深く求めていきたいと思いました❤️

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