大切なものを選ぶ

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人生は選択の連続です
それは 外にある複数のものを
選ぶことも勿論ですが
心の態度も含みます

クリスチャンになって思うのは
幼い頃というのは 本当に
少ない情報の中で 少ない選択肢から

正しいものの見方や考え方を
教えられることもない中で
間違えた選択をたくさんしたな

ということです

誰かが 異論を唱えてくれなければ
それが間違えていると気付けない

或いは 心のどこかでは
間違えていると感じながらも
誰も指摘することがないために
そのままにしてしまうことも
たくさんあったと思います

或いは逆に

本当は正しいものを選んでいたのに
ねじ曲げられてしまうということも
たくさんありました

その多くは 一時の感情に流されたり
公平にものを見ることが出来ないことから
発生していると感じます

正しいもの 正しい基準を知るというのは
本当に大切なことだと思います

基準がないうちは
正しい心の態度というのが
どういうものかを知らないままに
自分の感情だけを基準に
物事を判断してしまいます

先日 自分の思い通りにならないからと
怒っている人を立て続けに見たのですが

もし自分がその立場になった時に
同じように振る舞えるかと考えると
まあ無理だろうな と思うかどうか

それが基準になっていることが
殆どであるように思うのです

私ならこうする
なのにこの人はそれをしない

そのように怒っている人が殆どであり
逆を言うなら 私なら無理だなと
思う人は 同じことをされても
(困ったとは思うかもしれませんが)
頭ごなしに怒ることはしないものです

痛い目に遭ったり 苦しんだりする経験が
多ければ多いほど 人の痛みを
わかるようになるといいますが

しかしその優しさというのは
自分自身の力に限界を感じ
自分には無理だという自覚を
持つことでしか得られません

自分を鞭打って 人にも鞭を打つ生き方は
元気なうちは良いかもしれませんし
場合によっては人を強めます

しかし 正しいものが何かもわからず
闇雲にそのような選択をしていたら
大切なものを壊してしまいます

実際 私自身 若い頃にたくさんの
間違えた選択をしたと感じますし
間違えたものを守っていたと思います

そしてその殆どは 根拠が恐れや
不安や心配といったもので
聖書にそれらは神から出ていないと
はっきりと書いてあります

それらに対する自分の取捨選択は
殆ど間違えたものであったと感じます

恐れからの一切の選択を手放すことで
本当に自由になったと思います

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