神様の憐れみを求める

先日の聖会で ある証を聞いていた時
神様から強く促されたことがありました

それは 自分に憐れみが必要であることを
認める と言うことです

ここにはプライドの戦いがありました

自分は憐れまれるような
可哀想な存在ではないと思いたいのです

ですが 神様は憐れみが必要だと仰います
あなたは可哀想な状況だったのだと
自分で認め そして神様に
助けを求めることが必要なのだと

そこには謙遜が求められます

多くの人は 自分に頼れとアドバイスをします
頑張りが足りないのだと言うのです

ですが 神様は全く逆のことを仰います
あなたには助けが必要だったし
助けがなかったことを私は憐れむと

そして今日も 神様はある問題に対して
あなたの背負うべきものではないと
聖句を通してはっきりと示されました

しかし同時に 私がやることが
良い実を結ぶようにという祈りも
教えて下さいました

憐れみを受けるということは
自分が無力であるという意味ではなく
背負うべき責任の範囲が違うということです

そして それが神様が人を創った時に
人に与えられた責任範囲なのです

自分の人生に 神様がいなかったということが
どれほどに人のあり方を歪めているのか

と 思います

神様に立ち返るということは
健全さを取り戻すことであると感じます

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