神様が下ろさせたい重荷

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昨日の「枷が外れた感じ」の後に
自分にはどうにも出来ないことについて
神さまに全てやってください!と切に祈りました

自分ではこうしたいのに実際は全く出来ない
何かの奴隷となっているところに
神さまが介入をして助けてくださいと叫んだのです

すると今朝 その答えが頂けました

私は今までずっと 何かを赦せないから
恵みが受け取れないのだとばかり思っていました

悔い改めというのを
他人への赦しという方向だけで考えていました

この考え方はある意味犯人捜しであり
(最終的に行き着くところは
確かにそこになるのですけど)
アプローチの方法が違っていたのです

そして昨日 恵みを受け取ることだけに
意識を向けていたら何かから自分が
解放されたことに気付きましたが
その正体を 神様は教えてくださったのです

今朝神様は 私が今まで「不要に」
頑張ってきてしまったことから
解放されるようにと示されました

不要というのはどういうことでしょう

例えば 私は幼稚園の時までは
食べるのが遅かったのですが

小学生になり給食になった時に
早く食べ終わるとおかわりが出来て
それは早い者勝ちでした

おかわりをしたい一心で早く食べるようになりました
その後は忙しさの中で早く食べる機会が多く
早く食べられるようになって良かったぐらいに思っていましたが

しかし 胃に負担がかかるのは確かで
たまに消化の良い食事で胃を休ませる必要があります

これは 欲を満たしたいがための不要な頑張りです

また 我が家では父親が絶対に重いものを
運ばないので母が重いものを持つのが当たり前でした
(首にヘルニアがあったこともあるのですが)

元々運動をずっとやっていたこともあり
幼い頃から重い荷物を持つ手伝いをしてきたので
筋力もかなりあります

実は 首に奇形があるため重い荷物を持つと
酷く体調を崩してしまうのですが

筋力があって 持ててしまうために
他の人が持てなかったり大変そうなのを見ると
つい重いものを持ってしまうのです

そして自分自身では「これぐらい大丈夫」
「後で体調崩すけど別に平気」だと
思ってしまっていました

一人暮らしの時 一人で買い物に行く時
また出版社で仕事をしていれば
重い荷物を持つことは当然だと思うのですが

しかし神様は 私を頼れば助け手を送ると
示してくださっているのです

今朝示されたのはこの2つでしたが
これに類することは 恐らくたくさんあります

〆切前の寝不足やイベント時の過酷さや
面倒くさい状況なども
これぐらい大丈夫 別に気にしない~と思っていると

この件が改善されるように祈ることは
神様が望まれていることであると
示されているような気がしつつも
なんとなく祈ることを避けて

置かれた状況に感謝をして
喜びを見出そうとしている自分がいます

と いうより 実際楽しかったり
感謝したりしてしまっているのですが

しかし「神様は求めて欲しい」という
雰囲気を醸し出されているのを実際感じているのです

心から楽しんでないでしょ?
それ偽善だよ って示されている気がするのです

とにかく 私のこの無理に対する耐性こそが
あなたの悪いところで悔い改めるべきところで
癒やしを受け取れない理由は
これであると教えてくださいました

イエスさまが「軽くしてくださる重荷」とは
これらのことであると示してくださったのです

あなたは早く食べる必要はない
時間も食べる量も十分にあげる

あなたは重いものを持つ必要はない
助け手を送るから

私が癒されないのは 神様の恵みに対して
そんな優しさは不要です 大丈夫です
自分で出来ますと「自分で」やってしまうことにある

表面上は忍耐して不平不満を言わないことは良くても
偽善は良くないのです

今の状況を受け止めることは出来るけど
本当は欲しいものが別にある なのに
神様に求めないことは問題であり

悔い改めるべきはそこなのだと示されたのです

そう示されて ふと思ったのですが

早く食べないとおかわりが貰えなかったことに
もしかしたら怒りがあったのかもしれません

少なくとも 安心して自分のペースで
食べられないことに対していらついていました

また父が 父らしく振る舞ってくれなかったことに
恐らく怒りを持っていたのでしょう

示されて初めて 自分自身が
無理をし始めてしまった起点に
怒りの呪いがあった可能性に思い至ったのです

そして それを手放す祈りをすると
物凄く 肩の荷が下りた感じがしたのです

これぐらい大丈夫 気にしない
これぐらいの無理は誰でもやっている
みんなが無理をしている
自分だけがサボるわけにはいかない
自分だけが楽をするわけには行かない

これらの思いの根っこにある全てが
罪の奴隷であるということであり
裁きの心の根っこにあるのです

しかし本当に大切なことは
本音で神様に求めることなのです

本当はこうして欲しかった
誰かに助けて欲しかった
無理をして体を壊すのは怖いし嫌だ
死ぬために生きるのなんてごめんだ

それが 私の本音であって
神様に求めるべきことなのです

そしてこの「死ぬために生かされている」こと
これこそが悪魔の策略であり

全ての人がそこから解放されることを
神様は切に望んでおられるのです

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