特別である責任を背負う

今日は夕方から教会に行く予定があったので
その前に 池袋で探し物をしようと思い
早めに家を出て 池袋でランチをしました

その際 神様が物凄い楽しそうに
赤やピンクの薔薇の花びらを撒いておられたので

今日は素晴らしいことが起きるのだろうなぁ
と 思いました

結局何があったかについては
余りにも素晴らしいことがたくさんあり過ぎて
ここに書くことは出来ないのですが

それらの素晴らしい体験を通して
私の中に一つの大きな覚悟が出来ました

自分の中で こういうのは好きじゃない

と 思うことが聖書の人物像の中に
たくさん出てきます

例えば 複数いる兄弟姉妹のうち誰かを
特別にひいきする親などは
かなり引いて読んでいましたが

しかし神様は そういう人たちを
祝福し 愛されたのです

特別に愛された人は特別に多くを持ち
特別にたくさんの人を養いました

私は 出来ればみんながみんな
神様ととっても仲良しになって
神様から全員が同じように
み恵みを受けることが出来ればいい

と 思っていました
それは今でも勿論そう思っていますが

ですが神様は

一人ひとりを特別に作られ
一人ひとりに違う賜物を与えられ
一人ひとりに その人にしか救えない人を
ご準備されているのです

全員が同じなのではなく
全員が特別

それは 自分が特別であることを
受け入れるところから始めなければいけない

特別であることにある責任を
背負わなければいけない

と いうことを覚悟したのでした

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