神様の目線に立ち 良い実を結ぶ

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クリスチャンになると
驚くべきみ恵みがたくさん注がれることを
体験する人も多いと思います

聖書では 一番大切なことは
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、
力を 尽くして、あなたの神である主を愛せよ。

とであると教えていますが

神様がどのような方かを知らず
また愛を知らなければ
神様を愛することは出来ません

そのため ご自身のご性質を現すべく
また 救いが行いによるのではなく
ただ一方的な愛によるみ恵みであることを示すため
たくさんのみ恵みを注いでくださるのです

ですが 中には自分が愛されていることに
溺れてしまい(高慢になり)

なぜ神様が愛やみ恵みを注いでくださっているかを
忘れてしまう人がいます

神様は ご自身を愛してくれることを期待し
愛を注いでくださっています

神様の愛を知り 神様が愛するように
自分自身を愛するようになり

そして 自分自身を愛するように
隣人のことを愛してくれるようになること

それが 神様の望みであり
聖書に一貫している教えの一つです

「神様が愛するように愛する」
それが出来るようになるまでには
神様の愛を学ぶ過程が必須なわけですが

愛というもの自体には それ以外にも

自分がして欲しいことをする
という側面と

愛する人がして欲しくないことはしない
という側面があるため

神様の愛を知らないうちに個々人の感覚で
自分自身の愛を周りに振りまこうとすると
行き違いが生じることがあります

私が特に他人との行き違いを感じるのは
干渉する・しないという距離感です

平たく言えば 干渉されることを好む人は
必要以上に干渉してくるし

干渉されることを好まない人は
干渉する必要があるところでも干渉しないのです

自分自身の愛が無条件に良いものだと仮定し
過干渉をしたり 関わらなさ過ぎて無責任になり
歯車が噛み合ってないなぁと思うことは
立場や年齢に関係なくよく見かけます

そうならないために必要なことが
「神様の目線に立つ」ということです

自分の感覚で物を判断せずに
神様がこの状況をどうご覧になっていて
自分自身にどういう立ち振る舞いを望んでおられるのか

神様が自分に何を期待しているのか
神様が自分の何を強めようとされているのか

神様の目線で物事を見ようと願う時
神様はきちんとその目線を与えてくださいます

但しそれは 神様が与えられた個性や役割と
時期や相手によって方向性が異なってくるので
都度 きちんと確認する必要があります

ちなみにですが 私の場合は「干渉しなさ過ぎ」と
その割には「気にし過ぎ」るという傾向があります

神様に尋ねると「干渉しない」ことが
神様が私に与えられた個性であるようで
気にしない方向で鍛えられています

干渉したり気にする暇があったら
神様から受け取った御国の花をその方に
お渡しするべき(それが私の役目)なのです

祈りで神様に全てを委ねて
神様から貰ったものを流す

ということですね

勿論 関わることで変えていく賜物を
貰っている人もいますから
(りゅうくんはそうです)
あくまでも個人個人で示されたことに
忠実であって頂きたいのですが

良い実を結ぶための行動以外は
全て 人の思いから来るものであり
神様から来るものではありません

とは言っても 気にしてしまう私のことを
決して神様は否定されませんし
切り捨てるために鍛えられているのではありません

思いに囚われて何も出来ない状態に
立ち止まっていてほしくないのです

私の思いに奇跡と癒しを起こすために
神様が下さった良いことを実行するのです

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