祈りを待たれている神

今日は 神様が期待して祈って欲しいと
示されていることを感じたのですが

「わくわくする感じ」がするだけで
それが具体的にどういうことなのか
方向性も含めて全くわかりません

ですが 何だかわからないけれど
期待して祈りそれを掴みます!という思いを
神様は待たれているように感じました

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神様に期待をする祈り

我が家では カレンダーのすぐ下に
このような祈りの言葉が書かれた紙を貼っています

「全てのスケジュールや行動を神様に委ねます
 あなたの御心に適い喜んで頂けるように」

カレンダーにはスケジュールを書き込んでいるので
朝にそれを確認するのと同時に
このお祈りを捧げるようにしています

この祈りは 自分自身の心を軽くする意味でも
とても重要なものになっています

例えば 病院に行くなどのちょっと嫌な予定でも
神様に喜んでもらえるようにと思ったら
いくらでも心の方向性を変えることが出来る

そういう意味でも役には立つのですが

しかし自分の努力で思いの方向を変えることよりも
神様によろしくお願いします!と丸投げして
何をしてくださるのだろう?と期待をして
ワクワクしている方が楽しいと思います

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御心を台無しにする人の思い

逆を言うと 神様に何かを期待をする際に
「こういう風になると良いなぁ」という
人の思いがあると それが邪魔をして
神様の奇跡が現れなくなってしまうことがあります

また 違う結果が神様から与えられた時に
がっかりしてしまったり文句を言うこともある

その問題は 聖書の主要なテーマでもあります

モーセの時代には 奴隷から救ってくださいと
祈っていたイスラエル人が 実際に救われ
荒野に連れ出された際に 何度も
「奴隷でいた方がましだった」と言い
神様の怒りを買っていますし

イエスさまの時代には メシアの到来を
ローマの支配からの解放だと
思い込んでいた人々がいたのだそうで

イエスさまを裏切ったイスカリオテのユダも
イエスさまがローマから救ってくださる様子が
なかったことに不満を持っていたそうです

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人が思うレベルを遥かに超えたことを
神様は成し遂げることが出来る方であり

神様は 私たちの思いに
ご自身の栄光を現される方です

神様が為さることに対して聖書では
驚き呆れ 恐れかしこむ という
表現がいつも添えられています

神様が為さることというのは
いつでも想像をはるかに超えており
故に 神様が為さったことだと
褒めたたえることが出来るのです

この聖句は前にも引用しましたが
今日の示しは正にこれだなと思いました

イザヤ書55章8~13節
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。――

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、
芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、
わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、
わたしの言い送った事を成功させる。

まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。

いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。
これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」

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