聖書の中に 神に従わないものとして
偽預言者 或いは占い師という表現が
幾度となく出てきます
旧約の時代において 偽預言者や占い師は
有力者の機嫌を取るために
耳障りの良いことばかりを話しました
或いは 自分の欲望をかなえるため
神が忌み嫌うようなことをするように
勧めたりもしていました
神が偶像や占い 風水 口寄せなどを
忌み嫌われる一番の理由はここにあります
偶像とは人の欲である と
聖書にははっきりと書かれています
耳障りの良い 滅びの言葉と
耳の痛い 戒めの言葉の
どちらを取るかという話でもあるのです
偽預言者や占い師が 神の名を語りながら
神が言ってもいないことを人々に伝えることに
神様は大変お怒りになっていました
人は 自分にとって耳障りが良いことを
言う方を信じるもの ということは
なんとなく想像出来るのですが
神の怒りに触れた有力者や
偽預言者や占い師に対して 神は
あなたたちが言う通りには何一つならない
わたしは剣を持ってあなたたちを打つ
と 真の預言者を通して彼らに伝えました
有力者は怒り 真の預言者を捕らえて
殺そうと躍起になります
しかし 神の声を聴き分けることの出来る
心が正しい者たちもいて
そういう人たちが預言者をかばって
逃がしたりする話も多く書かれています
神様は預言者を通して何かをされる時
これを伝えることで もしかしたら
彼らが悔い改めるかもしれない
といったように
神様も一縷の望みを持っており
愛の故に 神に立ち返ってほしいと
願っていることがわかる記述が
幾度となく出てきます
神様は 人に自由意志を与えられました
忠告はしても 聞くかどうかは人次第です
このことは 親が子を躾ける時の思いを
考えればとても分かりやすいと思います
子どもが 悪い友達と付き合い出して
言葉遣いも顔色も 素行も悪くなっていき
いつしか家のお金が盗まれたりするようになる
その時 悪い友達と付き合うのを辞めなさい
と 親は言わないでしょうか
仮にそれを言ったなら 余計に
反発するとわかっていても
言わなければならない時はあります
子どもにも言い分があるかもしれない
悪い友達に合わせなければ
自分がいじめられる
また こうも言うかもしれません
彼らに合わせていれば良い思いが出来るのだと
ですが それが将来人生に影を落とす
間違えたものであることを大人は知っている
だから 耳障りであったとしても
教えなければいけないことがあるのです
親子であれば 或いは後になって
目が覚めた時に 怒ってくれた親に
感謝をするかもしれません
ですが 聖書に出てくる有力者は
ある意味不幸でした
自分が一番力があるものであると思い
全てが自分の思い通りにならなければ
権力で何でも出来ると思っていた者は
神様という この地全てを所有し
全てに対して権威をお持ちである方に
断罪されてしまうわけです
モーセがリーダーの時は
リーダーであるモーセに食って掛かるものを
神が怒りの炎で焼いてしまったことがありますが
モーセが慌てて これ以上殺さないでください
どうかこの者たちを憐れんでくださいと
神様に懇願したために 処罰は先送りとなりました
先送りにして頂いている間に 悔い改めがあるよう
今でも人々は聖書に沿って祈っています
例え地において
どんなにお金を手に入れても
どんなに権力を手に入れたとしても
私たちは この地を造られた方から
あらゆる資源をお預かりして
管理するものであることを忘れてはいけない
預かったもの 管理者であって
所有者ではないのです
神は 憐み深い方なので
ご自身の持ち物で弱いものを養ったり
知恵を与え 若いものを正しく導くことを
願っていらっしゃいます
ご自身が持つ豊かさ全てを
神と人との唯一の架け橋となる
イエスキリストの御名を信じる者に
体験させたいと思っていらっしゃる
ですが 往々にして持つものは更に増やし
持たない者はどんどん失うものであるとも
聖書には書かれています
マタイの福音書13章12節
というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、
持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
この文脈を 経済格差的な言い方で
物質について話す人が多くいますが
そういうことではありません
聖書には どんなにものを持っていても
死んで命を失ったら何になるかと書いている
不正で得たお金で貧しい人に施せ
そうすればその貧しい人たちが
あなたを天の御国に引き上げてくれる
という表現すら聖書にはあります
全ての所有者が神様である ということを
思い巡らせることが出来るのであれば
それがどういう意味かはわかるとは思います
(私はこの概念が腑に落ちるのに時間がかかりましたが)
とは言え 神様はそういう道を望んでいるわけではない
出来ることなら正しく管理をして
ご自身の豊かさをみんなに体験してほしいと
願っていらっしゃることは忘れないでください
仮に 人がどんなに悪人を憎んだとしても
神様にしてみれば出来が悪い子どもです
神は 一人として滅びることを望まれません
故に 神様は人には互いに赦しあうようにと仰られた
ですが神は公平な方ですから
必ず報いてくださる方です
報復ばかりが報いとは限りません
許したことによる恵みだってあります
多くの人が 神様のみこころに
気付くことが出来ますように
コメントを投稿するにはログインしてください。